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当局の権限強化をいつ是正できるか
2001年10月29日(月)


◆ZDNN『対テロ法のなし崩し的承認を市民団体が批判』
http://www.zdnet.co.jp/news/0110/27/b_1026_07.html

◆毎日インタラクティブ『米国の反テロ法、26日成立へ 電話やインターネットの盗聴強化』
http://www.mainichi.co.jp/digital/netfile/archive/200110/25-3.html


力による直接の攻撃を受けているアメリカ議会では,市民の権利に関する状況に関する認識は危ないようである。

『テロ対策』と称し,ネット規制/ネット監視・盗聴の合法化を推し進め,結果として当局の権限が過度に大きくなっている模様。
結局のところ,人々の不安を煽り助長させて,このような状況を利用して,安全策を強化するなどと当局の権限拡大を一気にすすめ,心情的な不安・怒りが収まる前に流れを作ってしまうという手法は,戦時中のやり方であり,異常なことだと理解しておく必要がある。

つまり,戦いが収束に向かったとき,その状況を是正・回復して,もとの市民の権利をなんとしてでも獲得しなければならないが,そのときは来るのだろうか。

盗聴関連法や個人情報保護法・住基ネット関連法で窮している日本に,この『なし崩し的な流れ』がさらにやってくるかと思うと心配である。少なくとも憲法や既存の法律との整合性を無視するなどということは,例え一時的だとしてもやってはならない。法治国家という文明を支えているのは,まさに憲法・法律の枠組みが大前提だからである。既に今回,日本のテロ対策3法などは,この点を説明することが出来ない。どうしても法律が必要というのであれば,それなりの手続きが必要なはずなのだが。

我々市民の権利は自らの努力によってなし崩し的に行われる当局の権限強化を監視しなければならないのは,特に平時において重要である。

市民情報の漏洩は決定的か
2001年10月24日(水)


▼毎日インタラクティブ『都道府県のわずか12.8% /セキュリティポリシー策定自治体』
http://www.mainichi.co.jp/digital/internet/200110/23/08.html

つまり地方の弱小自治に目を向けずに,住基ネットの運用を開始すれば,情報漏洩は目に見えている。住基ネットは日本中の全ての住民情報に原理的には可能なわけで,アクセスログすら取っていない自治体のコンピュータに侵入してしまえば,追跡が困難になることから,ハッカーにとっては,まさにやりたい放題の仕組みとなってしまう。

整理して考えてみると・・・
・アクセスログを取っていない(侵入者の追跡が困難)
・アクセス情報を暗号化していない(アクセス方法の手引きがあるかも)
・ウィルス対策(踏み台にするためのバックドア対策)を取っていない

・場合によってはパスワードが貼ってあるかも
など,弱小自治体ならば,このようなことが現実にいくらでも起こりそうである。

いくら中央が漏洩防止の法律を作ってその重要性を説いたところで,地方の弱小自治体の運用者側がそれを100%理解し,端末の運用管理が徹底できるとは思えないからである。

現実的には全ての自治体の運用管理が徹底できないということは,逆にいえば必ず管理の甘いポイントが出てくるということだ。
このような日本中の一番弱そうなアクセスポイントを狙って侵入されたら,全国の住民基本情報は丸裸になることが既に判っている。しかも我々には,既に可決され全国の自治体が予算を計上/歳出済みの住基ネットを廃止する運動の他に,有効な対策が残されていないのではないか。

このような現状だから住民基本情報が集中管理は恐ろしい
上記に書いたような事が現実に頻繁には起こらないかもしれないが・・・。運用が開始される前に,なんとしても阻止したいものである。

参考文献
財団法人 地方自治情報センターにある住基ネットリンク集
http://www.lasdec.nippon-net.ne.jp/com/info_search.htm

フルキーボード装備の携帯電話登場か
2001年10月12日(金)



ようやく携帯電話にもフルキーボードが装備される時代になった。ナイスなデザインだ(見た目は非常に格好悪いが・・・)。

世間では現代の携帯電話でメールを頻繁にやりとりする向きを『親指族』などと呼んだりするが,まさに片手で小さなボタンをひたすら連打しないと文字が入力できないという決定的な障壁が存在する。したがって大量のメールを送る際には『家に着いてから・・・』と,特に他に何もすることが無いはずの通勤時間を有効活用できない結果となっていた。

まぁ,頑張れば良い訳で,工夫して2つの親指を駆使し入力することも出来るし,機種によってはポケベルの文字コードを入力するモードがあって『お行連打』を避けることが可能なものもある。

オプションでフルキーボードを装着できるものも増えてきてはいるが,やはりフルキーボード一体でないと,その利用は難しいものになってしまう。『多少大きくなったとしても一体型』が何故無いのか不思議であった。

ポケコン世代のWebmasterとしては,こういう携帯電話の登場を心待ちにしていたのだが,遂に実用化になるのかと思うと感慨無量である。早くPHSでもこの類の電話が出ないものだろうか。

PDAもザウルスがフルキーボードを搭載して売れたところを見ると,実際の需要は思ったよりも多いらしい。

NOKIA 5510
http://www.nokia.com/phones/5510/

ネット時代の国語力 〜4周年を記念して〜
2001年10月08日(月)


最近になって痛感しているのがWebmasterの国語力(特に文章力)の無さだ。

幼少期のころから『ボクが大人になる頃には,パソコンが普及するから,暗算力とか,漢字を書けるなどという必要はない』と決め付けていた。それがゆえに,計算ドリルや漢字ドリルなどの類には,全くヤル気が出ず,殆どサボっていた記憶がある。
というわけで,他でもない,現在のWebmasterの計算力・漢字力がそれをガッチリと証明しているに至っている。

確かに幼少期の予想通りに電脳化が進み,現在の主要なデスクワークは,電卓や表計算での作業,或いはIME( Input Method Editor http://yougo.ascii24.com/gh/05/000500.html )で入力することであり,趣味に至るまで鉛筆/ボールペンで『書く』という作業はほぼ無くなってしまっている。

あるとしても,電話受け継ぎ時に『メモ』を執る時や『申込書』を書くときぐらいである。『メモ』だったら分からない漢字は当然ひらがな可,『申込書』は自分の名前や住所だけなので,特に不自由だと思うほどではない。

時が経ち21世紀になり,未来の蓋を開けると,当時の幼少のWebmasterが抱いていたイメージと随分と違う。
Net網の発達は予想通りだったが,現在でも暗算を強いられる場面は多数ある。ま,暗算は携帯電話の電卓機能などを恥ずかしながら使えば,ワタクシの『負のアイデンティティー』通りの行動であり,結局多くの人の期待を裏切ってはいないのがせめてもの救いと言えるわけで,電卓に頼った人生を送れば済む事ではある。

しかしWebmasterの大誤算は,21世紀のNet上におけるコミュニケーションの主な手段が,未だに『文字』であるということだ。
『書類』も減っていない。(紙に出すか出さないかは,この際どうでもよい。)

結局,文章を組みたてるチカラが,圧倒的に不足していると自覚できる程,ヤバイレベルであることを痛感する。

そこで一通り考えてみた。

言葉で表現するなら,喋っても書いても同じであるはずだが,時間と共に消える・インタラクティブだから足りない分を相手の反応を見ながら補えるという『喋る』場合のメリットを生かせば問題無いが,いざ『書く』となると,結果が時空間を超えて残り,後日厳しく評価され得るため,結果として文章力の無さが露呈している(自覚できる)ことに気付く。

ただ単に喋っているだけなら気付かないところであった。文章力は思考力に直結するものだし,従ってNet上の活動をして周囲の人々に色々と指摘/感想を聞く機会があることに感謝するところだ。

文章力を鍛える王道は,まさに文章を書く行為を数多くこなす事だと思われる。しかも,自分の主張を分かりやすく表現することに絞って訓練すれば,Net時代の自己表現の手段を勝ち得ることになるだろう。・・・まさにこのコーナーがそれであることに気付く。


〜〜〜+〜〜〜

・・・というわけで,発展途上にあるWebmasterの貧弱な国語力に付き合って頂いて,誠に恐縮しております。
このコーナーが始まったころと比べれば,微妙に進化しているのではないかと希望的評価をしておりますが,今後も(日付的には飛び石であっても)継続していくつもりです。

以上のようなことから,表現力・文章力を鍛える上でも出来るだけ分かりやすい表現を心がけ,さらに精進して参る所存ですので,内容への指摘/感想もさることながら,表現上の指摘/アドバイスなどがありましたら,どうかフィードバックを頂けると嬉しい限りでございます。

当サイトもおかげさまで4周年を迎えました。
これを期に低迷している表現力と共に思考力の向上を目指すことを宣言し,今後の1年間の抱負とさせて頂きます。

電話局からの配線距離をWeb上で測定
2001年10月05日(金)


ADSLを導入する際にぜひ知りたいのが最寄の電話交換局からの自宅までの配線距離だ。配線距離が長いと干渉したりノイズが乗ったり,或いは漏話による信号強度の減衰などによって安定して利用できる通信速度や方式に制限が出てきてしまうからである。

特に最近流行の8Mbpsが実現できるという類のADSLでは,配線距離で2kmくらいが上限といわれている。

ここで注意しなくてはならないのは,最寄の電話交換局までの配線距離は地図上の直線距離でないことはもちろんだが,道路上の最短でもない場合が多いから,実際の配線距離を調べることは一般ユーザでは不可能に近かった。近所に交換局が複数存在する場合などには,どの電話交換局の線を使っているのかわからない場合すらある。

しかし,ついにこの問題をWeb上で解決できるページが出現した。

▼ASAHIネット『ADSL-A・ADSL-8Aオプション対応エリアの確認』
http://www.asahi-net.or.jp/service/adsl/adsl-a/area.htm

住所・電話番号を入力する必要があるにも関わらず,暗号化されていないのが残念だが,しかし現時点でここを利用する意義は大きい。データ提供はアッカネットワークスによるものらしい。

poipoiServeの旧サーバルーム(現住居)は,局から680mという結果であった。ちなみに実家は420mと出た。これは実際の道路上の最短距離がこの数値と距離感で一致するし,ご近所の住所・番号を入力すると,その分距離が加減算されるので,従って各戸毎のデータベースが構築されている模様だ。ご苦労な話だ。

しかもアッカ提供のデータとはいえ,例え他のキャリアを選択しても電話交換局から自宅までの距離は変わらないので,データベースに登録されているエリアの場合には,かなり利用価値は高いのではないだろうか。

京都議定書の認知度で判る環境問題
2001年10月01日(月)


身の回りでは,何事に付け『環境問題』というのが大きなテーマになってきているのは実感するが,しかし果たしてどれ程身が詰まっているのかに疑問を感じていた。
実際に『環境』『カンキョウ』と,お題目のように唱えているだけで,現実の日本は炭酸ガス排出量は増えつづけているし,不景気な現状に至るも大きな改善の兆しが見えていないような気がしている。

などと言っているWebmaster自身も,具体的な行動は一切とっていない。
今までクルマを買っていないのがせめてもの救いだが,これには別の理由があるためであり『環境対策』の結果というわけではないのが虚しい。

そんなWebmasterは,数日前の読売新聞のある記事をみてびっくりした。

▼Yomiuri Online『京都議定書「知っている」2割…内閣府調査』
http://www.yomiuri.co.jp/04/20010929i411.htm
日本人全般を対象にする内閣府が実施した世論調査で,『京都議定書』の認知度がどれ程なのかが出ていた。
約2割に留まっているというのである。
実際に内閣府のページを見に行って見ると,今日付けで調査結果が公表されている。

▼内閣府『地球温暖化防止とライフスタイルに関する世論調査』
http://www8.cao.go.jp/survey/h13-ondanka/2-1.html


さて,この調査結果の解説の2点の指摘を見るに付け,虚しさが増す。

○『地球環境問題に対する関心』の項目で『「関心がある」とする者の割合が82.4%』となっている点
『京都議定書』の地球環境問題で温暖化の原因になっているガス(特に炭酸ガス)の排出規制で,日本がイニシアティブをとって,国ごとに目標設定する条約締結を目指すことや,国間の排出量取引の方法の問題,アメリカがこの案を拒否しつづけていて外交の重要な議題のひとつになっている・・・などを知らないのに環境問題に対して『関心がある』とは一体どういうことなのか。

嘘をついているわけではなく,むしろ正直に『関心がある』と思っていることが問題なのである。無自覚ということも出来る。もしこれを見ていて京都議定書を知らない方で,まだ『関心がある』と思っているのであれば,ぜひ下のリンクを見て勉強することを奨める。

▼外務省『京都議定書の骨子』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/kiko/cop3/k_koshi.html
▼同『COP3』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/kiko/cop3/index.html


○京都議定書を『「知っている」とする者の割合』の内訳が『「知っている」19.8%+「言葉だけは聞いたことがある」47.4%』となっている
『言葉だけは聞いたことがある』は読売新聞の定義では『知っている』に入らないわけだが,この世論調査結果に付けられた解説では大まかに言って『知っている』に勘定されているのである。この結果を恣意的に何かに用いるつもりなのかはわからないが,調査結果があまりに苦しくまとまらなかったための苦肉の策と邪推する。


〜〜〜+〜〜〜


しかし,よく考えれば,環境問題というのは『積極的に取り組まなければならないもの』ではないのかもしれない。もちろん商売になる/大きな利益・価値があると思えれば別だが,日常生活の中での『環境対策の実践』は,気になる点だけを片手間で出来る範囲に留めておく必要があるとWebmasterは考えている。

なぜなら環境対策を積極的に実施したがために人生本来の意味が薄まってしまっては,本末転倒と言わざるを得ないからである。『生活レベルを落とす必要がある』などとする意見をたまに耳にするのだが,これは多くの人々の行動実績からして無理であり,なにより後向きで建設的な方向性を持っていない。人々は前向きな意見/新しい価値に対して魅力を感じてのみ行動するものだからだ。

つまり現状での『地球環境問題』とは,その程度のことなのかもしれない。資源が枯渇したりして深刻な状況に陥って,問題に直面しない限りは,新しい価値観は生まれない。
逆にいえば,新しい価値観がそれほど顕著に実感できない現時点では,環境問題に対して注目している程度で良いのかもしれないと真剣に思っている。自身の人生における価値観を信じて行動したほうが,直接幸福に対してのアプローチがとれると考えているからである。

もちろん現在の生活が環境破壊の上によって支えられていることを忘れてはならない。発展途上国の人々が我々と同じ生活をはじめれば,地球環境は激変を余儀なくされ人類の生活は成り立たなくなることは明白だ。現在の生活が出来ることを感謝すべきである。しかしだからといって,現在の生活が『悪』であってはならない。文明/文化を萎縮する方向に行動するのではなく,今に感謝しつつ新たな価値/ライフスタイルを生み出す行動を積極的にとるべきなのである。これが先進諸国に課せられた義務ではないだろうか。

従って,片手間程度の環境対策をやっているだけで『環境問題に取り組んでいる』などという意識を持つことがキケンであると言える。むやみに方向性のない行動をして環境対策をした気になり,人生が薄まっているのを自覚できずにいれば,本当に虚しい。後世に『土地バブル』『ネットバブル』に『環境意識バブル』を加え3大バブルなどと言われないようにしたいものだ。現状が環境バブルとは言わないが,人生本来の価値とのバランスを冷静に保っておきたい。

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