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日和見バナナ |
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Hiyorimi Banana by "saging"
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活動家時代の記録 ♯14
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エチオピア・ウガンダ訪問 第13日目 |
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1998年8月15日
今日はエチオピア滞在の最終日。エチオピアのYEHのメンバーたちと共に、観光でソバレへのなんと「温泉」へ行った。が、着いてみると、温泉は洪水でなくなっていた。代わりに温水プールがあった。私は水着を持っていなかったので、入らなかった。
ここはリゾート地で、お金持ちばかりが遊びに来ているようだった。白人が多く、家族連れのミッキーマウスの浮き輪やボートが浮かんでいる。日本のプールと変わらない。富裕階級のエチオピア人や白人たちが温泉やプールに入ったり、テラスで食事をしたりとのんびり過ごしていた。敷地の一歩外へ出ると、ぼろぼろの服を着た裸足の子どもたちが道端で物乞いをしているというのに。
帰りのバスに乗ると、その子どもたちが窓をどんどんと叩いてきた。目が合うと、手を動かして「食べ物をくれ」というしぐさをする。
アジズアベバに戻って、エチオピアのアビたちメンバーたちと街を歩いていると、子どもから老人までたくさんの乞食がこちらによって来た。タバコを売ろうとする男性や、歩く私たちの横にぴったりくっついて手を差し出し続ける老婆、弟を背負ったまま黙って人の目を見あげている小さな男の子。途上国に行くたびに目にしてきた光景ではあるが、何度経験してもこれだけは慣れられない。アビが、私の手に何枚かの硬貨を握らせた。彼らにとってそれは日常であり、何でもないことのようだった。けれども私は、それを目の前の物乞いに実際に渡すことが、どうしてもできなかった。他人に物を恵む、という行為への抵抗。ソバレの温泉とのあまりのギャップ。ここで彼らに数セント渡したからといってそれが何になるというのか、何が変わるというのか、かえって自立を妨げるのではないか、という気持ち、「飢餓を終わらせる」などと宣言している自分自身が、目の前にいるたった一人の子どもを幸せにすることすらできないことへの無力感。私は自分の喋れる限りの英語で彼にその思いをぶつけた。
「私たちは温泉にいけるし、幸せになれる。けれどあの子たちは…。」
「それは、今は言っちゃいけないことだ。」
彼はそう言って、私の代わりに子どもたちに硬貨を渡した。
「僕たちがこうやって会うのはいつも、お互いのフレンドシップのためじゃなくて飢餓を終わらせるためだ。君たちは貧しいアフリカを見る。でも僕は、いつか君が、バケーションとして楽しんで僕らに会いにエチオピアに来ることが出来るように、あの子たちも一緒に楽しくソバレに行くことが出来るために、飢餓を終わらせたい。そのために僕たちの活動は必要なんだ。」
いつか、会議やボランティアのためじゃなく、ただ、アビたちに私の友人に会うために、バケーションを楽しむためだけにエチオピアやウガンダに行って、気兼ねなくエチオピアを観光したい。だから私は飢餓を終わらせたくて、これからも行動を続ける。
>つづく
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