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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯5 
エチオピア・ウガンダ訪問 第4日目
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1998年8月6日  

朝一番に「今日はヒロシマに原爆が落とされた日だね」と、エチオピアYEH代表のムセに言われて初めて気づいた私たち。ムセは2年前に日本に来たとき、福岡から仙台までYEHのある都市をまわってアフリカの飢餓について講演をした。2番目の都市広島を訪れたとき、YEH広島のメンバーがムセを原爆資料館に案内した。ムセはそこで衝撃を受けたという。次の日の広島講演会からは、用意してきた原稿とはまったく違うことを話した。飢餓や戦争など、地球上の問題の根本にあるのは、心の飢餓、愛の欠乏だとムセは全国で訴えた。ムセはその時、YEHの母体であるHのないエチオピアでGYCを開催すると決めた。大人からの支援の受けられない中でYEHの活動をするのが非常に困難であることは私たちにもよくわかる。エチオピアよりも、Hのあるガーナで開催するべきではという声もあったし、5月にはエリトリアとの紛争が激化するなか、ムセはGYC開催に責任をもち、ここまできた。「飢餓を終わらせられるのは愛と連帯だ」と言いながら準備を進めてきた。
今日はいよいよGYCの前日だ。発表者やビデオ係がリハーサルのため会場に行っているあいだ、残りのメンバーで配布資料や発表原稿をそろえてパケットをつくる。11種類の資料をパケットに入れる作業をするのに、昼になっても2つしか揃わない。待機していた作業班もいったん解散して、夕方までフリーとなった。私は各国のメンバーの部屋をテープレコーダーを持ってまわって、会議に懸ける思いを語ってもらう。とは言っても、私はテープレコーダーを回すだけであって、彼らの話している内容を全部理解しているわけではもちろんない。
私の大好きなバングラデシュのメンバーが到着した。“I missed you.”と言いあう。初めて会うメンバーもいるのにI missed you.もないものだが、感覚としては「ずっと前からの友人に再会した気分」だ。さっそく、私の大好きなバングラデシュの国歌「ショナル・バングラ」を、彼らにせがんで歌ってもらった。日本の歌も教えてくれと言われたので、「お正月の歌」を教えた。1996年と1997年に私がバングラデシュに行ったときにお世話になったYEHメンバーの消息をきく。たった1回しか会ったことがなくても、とても大事に思っている。たとえば、今年5月のインドネシアの暴動の時には、「あのYEHインドネシアのメンバーたちは大丈夫だったかな」と思ったし、エチオピアとエリトリアの紛争の記事を見たときには、真っ先にムセのことが心配だった。そんなつながりが、「飢餓」はどこか遠い世界の問題ではなく私の生きている空間で起こっていることなんだという思いになる。だから私は飢餓を終わらせたい。それはとても単純な気持ちだ。

夕方になっても資料は揃わない。ホテルに届く予定のものが届かないのだ。バングラデシュのメンバーが、「アフリカは時間にルーズだ」といって笑っている。私から見たら、バングラもそれに劣らずルーズだ。失礼だが、バングラデシュに笑われているようでは、エチオピアもおしまいである。さらに運の悪いことには、プリンターが故障してフランス語の資料がプリントアウトできない。しかたがないので、届いている分だけを詰めることにする。

夜、YEHジャパンだけでのミーティング。確認事項のみ。明日に備えて早く寝る。


つづく


        
 

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