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コミュニティ・オーガナイジングとアクティビスタ ♯10
Panunuluyan―定住地と定職のない貧者たちのクリスマス―
2003.12.16(火)
UPA(Urban Poor Associates)COM(Community Organizers Multiversity)という2つのNGOの計らいの下、このたび、クリスマス前の恒例行事「Panunuluyan」が行われた。Panunuluyanというのは、イエスの父ヨセフと母マリアが落着く場所を求めてさまよった日々の出来事を追体験するためのミサである。"Pasko ng mga Maralitang Walang Tiyak na Tirahan at Hanapbuhay"(定住地と定職のない貧者たちのクリスマス)というサブタイトルのとおり、都市貧困地区のスクワッターたちは、定まった宿がなくベツレヘムを放浪したマリアたちの姿に、現在の自分たちの姿をみるのである。

毎年、このPanunuluyanには、日頃からUPAとCOMの支援を受けている住民組織のメンバーを中心とした大規模な動員が行われる。各住民組織はそれぞれにパロールと呼ばれるクリスマスの飾り(※)を廃品の空き缶やストローなどで手作りして持ち寄り、地域の人々を誘ってマニラ大聖堂に集い、ミサに出席する。参加者数については詳述するが、今年は約1500人が参列したとみられる。一見したところでは、マニラでももっとも貧しい地域と言われるP地区(私が調査をさせていただいている地区)とその隣のB地区からの参加者が過半数であった。これには、B地区はマニラ大聖堂からトライシクルで1本、P地区はジープニーとトライシクルで一本ずつのところに位置しているという物理的な理由のほかに、もっと別の事情があるのだが、それも詳述する。

マニラ大聖堂の司教さまの全面的協力を得てのミサ自体はとても荘厳なものであり、同席した社会福祉開発省(DSWD)長官のディンキー・ソリマン氏(COMの前Excecutive Directorで、NGO界から抜擢された官僚として有名)のスピーチもすばらしかった。
しかし、残念なことに、今回はそれを上回る問題が次々と露見してしまった。

第一の問題は、Panunuluyanの目的が参加者にはっきりと伝わっていなかったということである。このイベントは、UPAと関係のある住民組織のリーダーを通して通達され、各地域で動員を行うというものであったが、地域の人々を誘う立場であったリーダーたち自身も、果たしてこれがラリーなのかミサなのか分かっていない状況であった。本来のプログラムによると、

・早朝、参加者は各地域ごとにまとまってイントラムルスに向かって出発
・8時、イントラムルス内のイミグレーション(移民局)前の広場に全員集合
・8時半、そこからマニラ大聖堂までの約500メートルをパロールを掲げて行進
・10時から12時までマニラ大聖堂内でミサ
・12時から昼食(チケット配布制)
・13時から大聖堂前ステージで聖歌隊のコンテスト
・15時に解散

…という筋書きであった。しかし、ラリーとミサの関係が十分に伝わっていなかったために、参加者は完全に二つに分断された。すなわち、マニラ大聖堂の中に入ってミサに参列する群集と、聖堂の外を旗を掲げて取り巻き、何が起こるのかと待っている群集とに分かれてしまい、お互いを不審に思う人々が聖堂を出たり入ったりを繰り返したために、聖堂内は「終始落ち着きのないミサ」、そして聖堂の外は「手持ち無沙汰な人々の群れ」で双方が混乱する結果となってしまったのである。メディア関係者も数人は来ていたが、「何が行われているのかわからない」、「ハイライトがない」とのコメントを残して早々に引き揚げていってしまったという。

第二の問題は11時前に起こった。それまで外にいたB地区の住民組織リーダーの代表の男性ジョン(仮名)が、突然、大聖堂の中に駆け込み、聖堂の前にあったマイクで「B地区が火事だ!」と叫んだのである。地図にはないマニラ南港付近の埋立地に位置し、住宅が密集し、消防車も入れないほどの劣悪な環境にあるB地区では、これまでにも何度も、大規模な火災による被害が起こっている。大聖堂の中はパニックになった。B地区から来ている人たちは出口に殺到し、聖堂の外に流れ出した。そして、各自が口々に、聖堂の外にいた人々に向かって「B地区が火事だ!B地区から来ている人は帰れ!」と叫びながら、B地区へのトライシクルが出ているターミナルに向かって走り去ってしまった。携帯電話を持っているNGOのスタッフは、いっせいに電話で情報確認を始めた。前列に座っていたディンキー・ソリマン氏もどこかに電話をかけはじめた。
約10分後、「現場はRoad 6だ」などというすこし詳細な情報が入りはじめたが、同時に「火事が起こったのはB地区ではない! P地区だ!」という情報が流れると、現場は再び混乱した。今度はP地区の人々がパニックになったのである。さらに数十人が家に帰りはじめた。
さらに10分後、「B地区は火事ではない。現場はP地区のBasurahanと呼ばれるエリアだ。けれども、Basurahanは大きな道路に近いため、火は早いうちに消し止められた。」という真の情報がやっと入り、一度帰宅したB地区の人々も一部は戻ってきた。Basurahanとは「ゴミ箱」、「ゴミ捨て場」という意味で、P地区ではごみの山でぬかるんでいる一角をBasurahanと慣習的に呼んでいる。しかし、この言葉はP地区以外でも、ゴミの集まるエリアを表すのに使われており、誤解を招いたと思われる。はじめに「火事だ!」と叫んだB地区の住民組織リーダーのジョン(仮名)はどうやらその情報を携帯電話のテキスト・メッセージで受け取ったらしく、パニックに陥って、情報を確かめないままに大聖堂に走りこんだのである。

そして第三の問題は、どうにかこうにか2時間のミサが終わった正午すぎに、昼食のお弁当の配布をめぐって起こった。
参加者には、UPAの手配した昼食が支給されることになっていた。用意された昼食は2,000食。ライス入りのお弁当パックが1,500食と、子供用に、パン・卵・チーズのセット(自分でサンドイッチにして食べる)が500食、いずれも、UPAのオフィスで調理されたものが、ジープで次々にマニラ大聖堂前に運ばれてきた。
各住民組織の代表者は、あらかじめミサが始まる前に、UPAの「参加者名簿」に自分たちがそれぞれの地域から動員してきた人々の氏名を記入して、その人数分だけの「チケット」を受け取っていた。これが、昼食の引換券となるはずであった。
ミサが終わり、UPAのスタッフがマイクで「いまから昼食を配布します。地区ごとにまとめて渡しますので、各リーダーは、先ほど配ったチケットを持って、ジープの前に集まってください。」とアナウンスした。
人々は一斉にジープ前に集まった。はじめのうちは、配布はスムーズに行われているように見えた。リーダーたちは、お弁当が17個ずつ詰められた巨大なビニル袋を2つ3つと持ってジープの前を離れ、大聖堂前の階段や近くの芝生、ベンチに地区ごとに集まって、昼食を食べ始めた。
ところが…にわかに、ジープニー前で怒鳴り声がきこえた。そして、私がCOMのオーガナイザーJと立ち話をしているところに、UPAのExecutive DirectorのDenis Murphy氏(70年代にフィリピンに派遣されたアメリカ人宣教師団の一人で、都市貧困地区のオーガナイザーのパイオニア)が近づいてきて、"Would you help us to distribute the foods?"とおっしゃった。Jは飛び上がって"Yes, sir!"と答え、すぐに現場に直行。すると、もめているのはなんと、P地区の住民組織のリーダーの一人であるT夫人とその取り巻きの2人の若者(この二人はつねにT夫人のお供をしている)だった。彼女はどうやら、1,300人分もの食事を要求しているらしい。
「でも、あなたはチケットを持っていないでしょう。昼食は、UPAがさっき把握したリストに従って配っているのです。ですから、チケットの分しか渡せません。」
と、UPAのスタッフが叫ぶ。すると、T夫人はイエローペーパー(日本でのルーズリーフにあたるような、黄色い便箋)を示して
「ここにリストがあるわよ!」
と言う。それは、T夫人が独自に作ったリストであった。
「だめです。UPAの把握したリストでないと。」
とJが言った。T夫人はJを睨みつけた。
「600人はイミグレーションからここまでの行進に参加して、700人はミサに参加したのよ。合計1,300人よ!」
「OK、T夫人、わかりました。では、その1,300人はいったい今どこにいるのですか?」
と、UPAのスタッフで、P地区担当のオーガナイザーの男性が口を挟んだ。
「そのへんにいるわよ、みんなそれぞれにあちこち…」
とT夫人が答える。
「わかりました。では、その人々をここに集めてください。そうすれば、食事を配りましょう」
と、Jは叫んだ。
「あんたねえ! 信じられないって言うの?」
と、T夫人はさらに声を荒らげ、Jを指差して大声で叫んだ。
「これはルールです! 他の人が待っていますから! 人々を集めてくださったらお配りしますよ」Jもそう叫んだ。すると、そのすぐ横で、今度はB地区の住民組織リーダーのジョン(先ほど火事の情報を流した男性)が
「OK、おい! B地区B地区! B地区から来た人はここに集まれ! B地区はここ!」
と怒鳴りはじめた。
「ちょっとジョン! ルールはチケット制よ! あなただけがここに並んでくれればいいのよ。あなたがチケットを持っている分だけをあなたにここで渡すから、それをどこか他のところで分配してちょうだい。ここは混雑してるんだから、こんなところで人を集めないで!」
とJはまたしても叫んだ。
「いや、だって、俺の持っているチケットもほんの少しだ。B地区からは700人が来ているんだぞ!」
「だったらなぜ、さっき私がチケットを配って回ったときにそう申請しないんです? 」
と、チケットを配る係であったUPAのスタッフが言った。
「火事のニュースのあと、増えたんだ! 火事のニュースで一度家に帰った人たちがほかの人も呼んできたから、増えたんだ。」
「そんな馬鹿な! だって、彼らが来たときはすでにミサが終わっていたでしょう? 彼らはミサに出席してないでしょう? この昼食は、本当にPanunuluyanに参加した人たちのためのものです」
"Pag ganoon, magagalit ang mga tao ko!(もしそんなだったら、俺の人々は怒ってしまうじゃないか!)"
"Oy, ano'ng mga tao ko?(ちょっと、「俺の人々」って何よ?)"
とさらに声を荒らげるJ。
結局、P地区のT夫人はさんざんにJを罵った挙句に「信じないのね! じゃあ帰るわ!」と踵を返して去り、集まったB地区の人々にはなんとか食事が配られた(ただし、700人もはいなかった)。
このほかにも、周辺のストリート・チルドレンたちが住民組織リーダーの子供を装って昼食をもらいに来たり、並んでいた住民組織リーダーの数人が、あまりにスタッフの人手が足りないのを見かねて手伝いに回っているうちに自分が昼食を食べ損ねてしまったり、スタッフがすべて昼食の配布に追われ、進行役がスタンバイしているはずの中央本部には誰もいなくなってしまったために、とうに昼食を食べ終えた人々がついにしびれを切らしてマイクを取り上げ、
「このあとのプログラムを把握している人は誰ですか!?」
と叫んだりと、騒動は続いた。用意されていた2,000食はなくなってしまったが、
「絶対に2,000人はいなかった。ミサのときに聖堂内で私たちが数えときには900人だった。その2倍以上の人が外にいたとは思えない。」
と、COMのスタッフは言う。
「昼食配布係を決めていなかったのが原因だ。ミサ係、進行係、チケット係はいたけれど、昼食の配布における責任者を決めるのを忘れていた。去年は各住民組織が食事を自前で持ってくることにしていたから問題がなかったのに。」
というのが彼らの反省だった。

「問題を起こしたのはB地区とP地区だけだ。どうしてあそこはああなんだろう。」
と、ほかの住民組織のリーダーたちはのちにB地区とP地区を批判した。
前にも書いたかもしれないが、エストラダ前大統領の支持者が非常に多いB地区とP地区は「動員のメッカ(←この呼び名は私が勝手につけたものだが)」として非常に有名なところである。一日200ペソの日当と昼食を出すとして、エストラダ支持団体が送迎のバスやらジープニーやらをこの地に手配し、街頭デモに連れて行ったという話はあまりに有名である。
「昼食で人を集めようとしたわけではない。ただ、より多くの人を集めるために、UPAから昼食を配布することにして『No worry about lunch、交通手段は各自で確保してください』と宣伝しただけ」スタッフは言う。
「彼らは動員に慣れているのよ。コミュニティ内で権力争いがあるのよ。住民組織のリーダーもセクトの一つだからね。でなければang mga tao ko(俺の人々)とは言わないでしょう…。」



※パロール:クリスマス時に屋外に飾られるもの。星をかたどった電飾が一般的だが、星の形をしていなくても、また、電飾ではなくても、この時期にクリスマスを祝って吊られている飾りはすべてパロールと呼ばれる。


        
 

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