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コミュニティ・オーガナイジングとアクティビスタ ♯12
下院議員とのシンポジウム その2(技術編)
2003.12.17(水)
COMには、デジタルカメラがない。まともに持ち歩けるラップトップもない。彼らは、姉妹組織のUPAにいつもラップトップを借りている。しかし、UPAもデジタルカメラは持っていない。
ラップトップもデジタルカメラも、フィリピンでは高すぎるようだ。SM(シューマート)などのデパートで出回っているデジタルカメラはほとんど日本の製品ばかりなのに、値段は日本よりも高い。加えて、種類も在庫も少なく、選択の幅が狭く、ディスカウントもセールもないので、どう考えても日本で買うほうが格段に安いはずである。
デジタルカメラは、NGOのおこなう調査や調査報告のプレゼンテーション、ドキュメンテーション(書類作成)などにはもはや必須アイテムである。にも拘らず、それを持っていないNGOはどうするかというと、普通のカメラでとった写真を現像し、それをスキャンして取り込む。スキャナもない場合は、スキャナが備えてあるネットカフェに持ち込んでスキャンしてもらって使う。これでは面倒きわまりない。
そんなわけで、私は何度か、COMやUPAの依頼でデジカメを持って彼らに同行し、写真を撮ってきた。私が初めてCOMのデスクトップを使ってデジカメ写真を取り込んで見せたとき、見ていたスタッフは一斉に
「ああ、欲しい! フィリピンでも買えるか? 日本ではこれはどのくらいの値段なんだ!?」
と叫んだ。私が、日本ではかなり豊富な種類があること、値段は「画素数」や「大きさ」や「機能」によって違うのだという説明をすると、
「欲しい! これはなんとしても買うべきだ! そんなに性能のいいものでもなくていいし、小型じゃなくてもいいよ。どんな形でもいいんだ。中古でもいいよ。とにかく欲しい。英語版の表示が付いているのじゃないと困るけどが…。なんとか1lapad(ラパッド=1万円札のこと。フィリピンで一般的に使われている単位)で買えないかなあ。saging、どう思う。今度、日本に帰ったらどうか探してきてくれないか。そして、次にフィリピンに来るときに持ってきてくれ。英語でレシートを取ってきてくれればお金は払うよ。お願いだ。変圧器はこっちで買うから大丈夫だよ。」
とのこと。彼らは本当に真剣そのものである。
困った。1万円では買えないだろう。そんなことを言われたら、お世話になっている手前、私はなんとしてでもデジカメをフィリピンに持ち帰らざるを得ないではないか。たとえ1万円以上であっても、差額を私が出してでも買っていかざるを得ないではないか。
同様に、会議やインタビューを録音するためのICレコーダーもとても欲しいらしい。カセットでは嵩張ってしかたがないし、MDという選択肢はフィリピンにはほとんど存在しない(それに日本でも、MDの存在意義はどんどん薄れていっているような…)。ただ、ICレコーダーは私もまだ持っていないので、どのくらいの値段でどのくらいの性能があるのか、また、どのくらい使い勝手の良いものなのかよくわからない。

さて、今回の下院議員とのシンポジウムでは、住民組織連合ULAP側から「なぜ私たちは立ち退きに反対か」を説明する時間があった。そこで、COMは住民リーダーの方々の証言にあわせてPowerpointでプレゼンテーションを行うことを考え、Bが担当となってプレゼンテーションを用意することになったのである。そこで使われるパシグ川沿岸や再定住地の写真を撮影するのに私のデジカメが使われ、私はその写真をCOMの事務所にあるデスクトップとCD-RWに保存してBに託していた。ところが、シンポジウムの3日前の晩、別の場所でBに会ったとき、彼は「saging、この間の写真に問題があるんだ」と言った。
「こないだの写真が、バリクタッド!」
「バリクタッド??」
「こんなの。」
彼は首を45度に傾けてみせた。カメラを縦に撮った写真の、回転のさせかたがわからないらしい。
「いまから一緒にオフィスに来てくれ。もう遅いし、家に帰るのも心配だろ? オフィスに泊まっていいから。」
COMのオフィスにはシャワールームがあり、郊外に住むスタッフは、夜遅くなるとしょっちゅうオフィスに泊まっている。そのため、オフィスには床に敷く大きなゴザマットや枕、シャンプーなどの「お泊りセット」が軽く10人分は常備されている。
「写真も直してほしいし、それから、Powerpointを教えてほしいんだ。」
「ぱ、パワーポイント!? 私、知らないよー!」
私はそれまで、だった1度しかPowerpointを使ったことががなかった。2年前、大学の情報処理センターが主催する90分の「プレゼンテーションソフト・Powerpoint入門講座」を受講したのだ。その90分のお蔭で、Powerpointがどんなものかくらいは知っていたし、インターフェイスがWordとそっくりで使いやすいことは学んだが、それ以降、触ったこともなかった。
しかし、その晩は本当に遅かったので私はBと一緒にオフィスに行って、写真を直し、Powerpointを操作してみた。そんなに難しいものではないし、使い方は本当にWordにそっくりなので、なんとか使うことができた。写真の挿入にも成功。Bがタガログ語で文字説明を入れて完成である。

シンポジウムの前夜、当日のプレゼンテーションで話をすることになっているULAPの代表者3人がCOMのオフィスに集まって、Powerpointの画像を壁に映しながら、それに合わせて話を進めるための「ロールプレイ(予行演習、リハーサル)」を行った。私も途中から参加したが、ここで大きな問題が浮上した。COMの使おうとしているラップトップは非常に動きが遅く、しょっちゅうフリーズするのだ。(なんということ。もっと早くに気づいておくべきである!)
「B兄さん、明日の本番でもこれを使うの? ほかにラップトップはないの?」
「ある。UPAから借りてきたピカピカのWindowsXPがあるよ。けど、マウスが使えないんだ。最近、マウスを挿しても反応しない。それが問題なんだ。」
「そんな…マウスなしでは操作できないの? キーボードを触って動かせるでしょう。」
「俺には無理だ。やったことないもん。マウスも嫌いなんだ。」
困った。沈黙。
「saging、君のラップトップを貸してくれないか?」
「いいけど…でも、私のラップトップにはPowerpointは入ってないから動かせないよ。」
大問題。メカに弱い私はない知恵を絞って必死に解決策を考えた。要は、私のパソコンにPowerpointをインストールすればいいのだ。Powerpointのインストーラさえあれば…(きっと違法だけれど、緊急事態なので神様、私たちをお許しください)。私は、とうに帰宅したCOMの事務スタッフの自宅に電話をかけて、オフィスのどこかにインストーラーがないかどうかたずねた。すでに眠っていたところを叩き起こされた彼は半分寝ぼけながら
「おお、事務所にはないけど俺のうちにあるよ」
と言う。私はこれで問題解決と思い、
「それ、明日の朝、持ってきてください。あなた、何時出勤ですか? えー、9時? 8時半に来てくれません? 急ぐんですよ。お礼に今度B兄さんがビールをご馳走しますから、8時半でお願いします。遅れないでね! インストーラー、絶対に持ってきてくださいねー! 忘れないでねー!!」
と繰り返して電話を切った(なんと迷惑な…)。

私はその晩は家に帰り、翌朝一番に、自分のラップトップ(WindowsXP)と光学マウスを持ってオフィスに参上した。昨夜ご迷惑をおかけした彼が持って来てくれていたCD-ROMは、Office2000のインストーラーだった。Powerpoint単体のインストーラーはなく、WordやExcel、Outlookとセットになっているらしい。これをインストールすると、私のラップトップにあらかじめ入っていたOfficeXPは上書きされてしうまうのでは…という心配がよぎるが、「たぶんあとで戻せるはず。まあ、あとでゆっくり考えよう」と、とりあえずインストール。案の定、WordやExcelも英語版の2000バージョンにに変わってしまった。このまま戻らなかったらものすごく困るなあと思いつつ、時間がないので、新しく入ったPowerpointを立ち上げる。そして、昨日のファイルをCD-ROMに焼いて私のラップトップに移しかえ、きちんと動くことを確認。オフィスに到着した住民組織リーダーの方々の前で試写し、彼女らのご意見に従って、背景色や文字色、フォントの大きさを修正した。Bはひたすら「日本人って頭いい!」を連呼している。「あの、B兄さん、私は相当のメカ音痴なんですけど…」と心のうちで思いつつ、私が「B兄さん、このマウスは光学(optical)だから操作しやすいよ。やってみて」と言うと、「おお! 日本のテクノロジーはすばらしい!」と彼はまた叫ぶ。(あの、B兄さん…、そのマウスは中国製なんですけど…!)

午前10時半になったのであわただしく機材を片付けてCOM所有のバンに積み込み、現地リハーサルのためにリーダーの皆さんと一緒に下院議会へ。
下院議員の一室に案内され、AKBAYANの活動家の方々と一緒にスライドやPC、ビデオをセットして、ULAP代表の3人のスピーカーの方に位置についてもらい、修正版のPowerpointとあわせてのリハーサルをはじめた。そのとき、Bが私に
「saging、操作は君がやってくれ。俺は後ろでビデオを撮りたいんだ。」
と言い出した。
私「外国人がこういうときに出てくるのはまずいんじゃないの?」
B「大丈夫だ。黙ってれば君はフィリピン人に見えるから分からないよ。」
私「(適当なことを…見えないってば!)…でも、 全部タガログ語だし、いま何の話をしてるのか、いつ次のページに進めばいいのかわからなくなるかもしれないじゃない」
B「いや、昨夜も一緒に見てたんだから、話の流れはわかるだろう。それに、いまからのリハーサルで覚えられるだろう。」
もう有無を言わせぬ流れである。スピーカーの方々も「そうそう!」とおっしゃる。

結局、本当に私がパソコンを操作することになった。技術的な失敗は何もなく終わったけれど、
「B兄さん…、もともと、あなたがマウス操作しかできないと言うから私がラップトップを持ってくる運びになったわけで、私が操作をするなら、別に私のラップトップを持ってこなくても、UPAから借りた『マウスの使えない』Windows XPでよかったではないですか…。」
と私は心の中でずっと思っていた。

Office2000をインストールしてしまった私のラップトップは、その後、最後の復元処理を元に戻す「システムの復元」を使ってOffice2000をアンインストールすることで無事に日本語のWordプログラムに戻すことができた。もちろん、同時にせっかく入れたPowerpointも失われてしまったので、今後、Powerpointだけのインストーラーを買って入れる必要がある。

ここで、読者の皆様にお願いです。Office2000を入れたとき、先に入っていたOfficeXP自体は消えたわけではないのに、WordなどはOffice2000の英語版のものに変わってしまったのはどうしてなのでしょうか。Office2000に含まれるPowerpointと、XPのWord, Excelを併用することはできないのでしょうか。どなたか、ご存知の方がいらっしゃったら教えていただけないでしょうか。お願いいたします。



        
 

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