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コミュニティ・オーガナイジングとアクティビスタ ♯8
パシグ川クルーズ
2003.10.31(金)
これまでにも数回登場している(とくに#6)、COMのベテラン・オーガナイザーのBは、同僚のSとともにCOMのコミュニティ・オーガナイザーとして、ラグナ湖の湖畔の広範にわたるコミュニティで仕事をしている。そのコミュニティの住民組織が、日本のJBIC(国際協力銀行)のプロジェクトに対して反対運動をおこなっていることは私も前から知っていた。もともと、私がBと頻繁に会って話すようになったのは、6月に私が彼に送った次のようなEメールがきっかけだった。

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親愛なるB兄さんへ

こんばんは。
私がCOMでエクスポージャーを始めて、3ヶ月が経とうとしています。いつもありがとう。私は、いったいどうすればこの恩返しができるのだろうといつも考えています。

さて、B兄さんは、JBICの出資するメトロマニラ西マンガハン洪水制御事業(Metro Manila flood-control project)で被害を受けるコミュニティのオーガナイジングに関わっておられますよね。私はここでひとつのことをあなたにシェアしたいと思います。もし時間があればこれを読んでださい。

以前にお話したように、私は先日、JBIC(日本国際協力銀行)の出資するプロジェクトに対するfact-finding missionに参加するためにセブに行きました。主催団体のNGOは、 セブ沿岸における埋め立てプロジェクト "Cebu South Reclamation Project (CSRP)" と "Cebu South Coastal Road Project (CSCRP)"によって、何千人もの人々が漁業という生計を失い、その中の何人かは、水質汚染による皮膚病に苦しんでいると主張しています。このプロジェクトの出資元は日本の国際協力銀行(JBIC)です。

私は、ODA改革運動の一人です。私は心から、JBICに、地域住民の 生活を守り、生計を維持できない人々には補償をおこなうようにとつとめてそう主張してきました。

でも、兄さん、6日間のその fact-finding missionを通して、私たちを案内してくれたNGOのメンバーは、自分たちの主張をすべて信じろ、政府の言うことは間違いで、私たちこそが正しいのだ、と言いました。"facts."
セブでは、参加者の中で私だけが日本人でした。私はセブアノ語がまったくわかりませんので、彼らは、住民の方の言葉を私に訳してくれました。でも、私はときどき、スタッフたちが、住民の言葉の中で「プロジェクトがいかにひどいか」を説明する部分だけしか訳していない、さらには、住民が言っていない言葉まで付け加える、ということに気づきました。私はときどき、事実関係を確かめるために、タガログ語で直接、住民の人たちにたずねました。そして、住民の証言が、スタッフの通訳と食い違っていることを感じました。いくら私のタガログ語が貧困でも、そのくらいはわかります。たとえば、海岸沿いが真っ黒な泥とゴミで埋まっている地域で、私が住民の一人に「このゴミは流れてきたんですか?」とたずねると、彼女は「いえ、私たちが捨てたものです。私たちは以前からゴミを窓から海に捨てています。ただ、昔は潮の流れがあったので、捨てたゴミはどんどん遠くに流れていき、海岸はきれいでした。JBICの埋め立てプロジェクトの開始によって、潮の流れが遅くなり、ゴミはここに滞留するようになったのでこんなに汚いのです」と言いました。
しかし、NGOスタッフの側はその直後に英語で、「saging、見なさい。このゴミはあちらの工事現場から流れてきたものですよ。工事現場の人たちが海にゴミを捨てるので、ここの環境はこんなに悪化してしまったのですよ。」と言いました。

どちらが真実なのかはわかりません。ただ、泥の中に浮かんでいたのはどうみても生活のゴミで、工事現場から来たとはあまり思えませんでした。

私はすでに、このNGOが政治的組織のBの系列グループと関係していることを知っていました。この地区では、Bの系列グループのコミュニティ・オーガナイザーが働いているようです。
だからといって偏見を持つわけではありません。政治的組織やイデオロギー組織のオーガナイザーがだめということはないし、オーガナイザーが政治的であるのは自然なことです。でも、彼らが「真実」を言っていないのだとすれば、私はどうして彼らの主張を信じることができるでしょう。

おそらく、JBICのプロジェクトは確かに問題を孕んでいるのであり、このNGOは本当に、日本市民から、反対運動の支持と連帯を得たいと思っていたのでしょう。 しかし、それに集中するあまり、彼らは私に、factをfindする機会を与えてくれず、見るものすべてを、彼らの言葉と解釈で説明し、「JBICの説明はうそです。ここで住民とともに闘っている私たちの説明を信じなさい」と強要しました。 スタッフの一人は私に言いました。「私たちはアクティビストやソリダリティは歓迎しますが、エクスポージャリストや研究者はいりません。私たちはすでに十分な調査をおこない、データを蓄積しているのですから、いまさら、あなたが直接住民に何かインタビューする必要はありません。」
これはfact-findingなのでしょうか。彼らのそのような方法に、私はとても落胆しました。

でも、落胆したのはそればかりではありません。何人もの日本人が、スタディ・ツアーとして、現地のNGOや進歩的な住民組織のの案内でこうした「日本のODAが問題を起こしている現場」をせいぜい1週間ほど訪れ、彼らの説明をすべて信じて帰っていくのを知っているからです。
日本人は、NGOの主張や証言に憤り、日本に帰ってから、たとえばこのように言います。「私たちはこの目で、JBICのプロジェクトが地域住民を苦しめているという事実(FACT)を見てきました。JBICはすぐにプロジェクトを中止するか、十分な補償をおこなうべきです。」
でも、それは本当にFACTなのでしょうか?

JBICと日本の市民との対話が成功しないのは、さまざまな理由があると思います。 多くの場合、JBICの見積もる「影響を受ける世帯数」と、NGOの主張するそれとは大きく異なります。
この点について、「JBICの調査はバイアスがかかっているから、過小評価されているんだ」と、JBICを批判することは簡単です。でも、いくつかのケースでは、NGOのリサーチだってバイアスがかかっているのでしょう。
このあいだ、COMのJにそう言いましたら、「もちろん、NGOはその戦略として、被害世帯を過大に見積もるもの。私もその手を使ったことがあります。そういった場のコミュニティ・オーガナイジンジングでは、反対運動を『つくら』なくてはならないから、バイアスは大きいでしょう」と言われました。

JBICだってこの現象を知っているから、NGO側の主張は感情的で、過剰反応だと言います。私は去年の8月にフィリピンでJBICの方と夕食をご一緒しましたが、そのとき、彼らは「正当な主張をしてくれるのであれば受け入れる余地もあるけれど、とても感情的に『ODAはすべて悪だ』と主張するだけのようなNGOと話し合う余地はない。そのようなNGOのツアーで現地に来て『現場の声をきいた。JBICのプロジェクトは人々を苦しめている!』と言う学生もいるけれど、十分な知識もなく一方的な感情的な主張をされても、話し合いにはならない」と言いました。

確かにJBICには問題があります。でも、運動が成功しない理由は、市民の側にもあるのではないでしょうか。

日本人のツアーグループや学生が1週間程度フィリピンに来て「日本のODAはひどい、あのプロジェクトを止めるべきだ」と言って日本でロビイングを始めたところで、多くの場合、それは社会運動にはならないのです。

これはまるで悪循環です。

セブのNGOの方々は私に言いました。「多くの日本人はこのことを知らないんでしょう。日本のODAがいかに悪いかということについて、もっと大々的にアピール活動をするべきです。」
私のような日本人が、日本のODAに影響を受けているコミュニティに入る場合、コミュニティの人々はやはり、私が日本でアクティビストたることを期待するのでしょうか。私は、「はい、私は日本市民として、JBICと戦い、日本の市民にこの現状を訴えます!」という言葉を期待されていたのでしょうか。
でも、「日本の市民にこの現状を訴える」ことが問題をさらに悪化させるのではないかと恐れている私は、それができません。
日本人のくせにその約束ができない私はエゴイストでしょうか。現実に、NGOだけではなくおそらく住民の方々も、たびたびの日本人の訪問を期待や疑念をもって見ていると思います。訪問だけしてコミットメントができなかった私は卑怯な日和見主義者でしょうか。COMが言ったように、単にexposureという目的だけでコミュニティに入るべきではないというのはその通りです。コミュニティは研究の材料ではない。
でも、アドボカシーというのは情熱だけではできないと思うのです。安易にそのNGOのデータを信じて私が何か広報活動をしたところで、それは何の役にもたたないのだと私は思うのです。

B兄さん、これについてどう思いますか?
あなたがたCOM は、私をエクスポージャリストとして受け入れてくれました。が、私はコミュニティにいまだ何ひとつ還元することができないでいます。

B兄さんの働いている、メトロマニラ西マンガハン洪水制御事業に照合して、あなたはどう思いますか? 今度、お会いしたときにお話を聞かせてください。

saging

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このメールの後半にあるように、BとSの働くラグナ湖沿岸地域の住民組織の直面しているもっとも大きなイシューが、メトロマニラの洪水対策を目的としてラグナ湖北岸で現在進められている「メトロマニラ西マンガハン洪水制御事業(JBICによる94億1100万円の融資が1997年3月に調印)」である。ラグナ湖の北岸に注ぐ河川に排水制御ポンプを設置して大型堤防を建設するこのプロジェクトは、川沿いの都市貧困層の立ち退き、工事による生態系への影響、湖岸地域にもたらされるかもしれないさらなる洪水、農漁民の生計の喪失などが懸念されている。フィリピン側の政府機関はラグナ湖開発公社(LLDA)である。

人材育成のプロであるBはこのメールに対して、次のようにコメントしてくれた。

「実に重要な問題だ。僕は君のメールに共感する。単に反対運動が盛り上がればいいと考えているわけではないし、日本人である君に『君は日本政府に対して何かするべきだ』と言うつもりもない。でも、コミュニティの人々自身がどう思っているかはわからないから、これはとても繊細な問題だ。やはり、君が日本人であるかぎり、コミュニティの被害住民の人々は、君に会えばやはりなんらかの期待をするだろう。それは自然なことだ。でも、僕たちは君を責めるべき立場にはないし、君に『〜べきだ』なんてことは言えない。この問題は、これから一緒に考えよう。いつか機会があれば、本当に君が興味があるなら、僕たちの働いているそのラグナ湖のコミュニティに一緒に行こう。でも今は、いま君が自分の関心で入っているP地区やD地区での調査に集中すればいい。君はコミュニティ・オーガナイジングについて学びたくてCOMに来たのだから、それを優先すべきだ。ここでODAを問題にしてしまうと、話がややこしくなるから、まずはひと段落つけるのが先だ。でも、その前に、僕らの疑問に誠実に答えてほしい。」

Bの質問は次のようなものだった。
「君が日本でアクティビスタだったこと、ODA改革の運動に関係していたことを知ったとき、早いうちに、僕たちが関わっているあのJBICのプロジェクトへの反対運動について話したいとは思っていたんだ。でも、あのメールをもらってから、よく考えた。君が日本人だからって、すぐにこの問題を持ち出したくはくなかった。でも、ワークショップの1日目に君が発言したことは印象的だったよ。僕たちは君に尋ねたいことがある。第一に、なぜ日本政府はODAを出すのか教えてほしい。それが日本政府にどんなメリットがあるのか。日本のODAが特定の企業の利益のためにあるというのは本当なのか? ある人は本当だと言うし、ある人はそれは過去の話だと言う。どちらが本当なのか教えてほしい。第二に、なぜ日本のNGOはフィリピンの貧困を助けたいと思うのか教えてほしい。日本のNGOはフィリピンにたくさんあるし、日本人の学生はいっぱいやってくる。国内の問題はないのか? 彼らはどんな動機でフィリピンに来るんだ? 彼らの思想的背景はどこにあるのか? 第三に、どうして、たくさんの日本人がフィリピンでボランティアをしたがるわりには、ODAはあのままなんだ? そもそも、日本のODA改革運動と君が呼ぶものはどんな運動で、どんな人がその担い手なんだ? それは政治運動なのか? saging、これらの質問に答えてほしい。」

私はそれらをノートに記録して、一応の答えをした。第一に関しては、ODA供与の理由としては、外交戦略、日本のコンサルタントを通じた日本企業への恩恵、人道援助、アジアへの戦後補償、などなど複数の考え方があり、現状のODA大綱では明確にされていないこと。ODAが特定企業の利益に結びついているというのはおそらく疑いのないところであり、それは、日本の「財・官・民」の癒着構造にもみられるが、すべてのODAがそのためだけにおこなわれていると考えるのは行き過ぎではないかということ、この点は長年にわたって指摘されてきており、近年は入札システムに若干の改善努力もみられること。第二に関しては、多くの場合、彼らの動機は「罪悪感(sense of guilty)」にあり、「貧しい国のためになにかしないと、いたたまれない」という思いが日本の人々の心の奥底にあるのではないか、少なくとも私は、NGOに参加することで、罪悪感を埋めようとしたということ。国内のホームレス問題に関心が低いのは、どこかで「これだけ豊かな日本でホームレスになるのは、怠けているからだ。まじめに社会復帰しようと思えばできるのに」という思いがあるからだろうということ。第三には、ODA改革運動にも「アンチODA」のようなものから、「ODAすべてを止める必要はないが、改革は必要だ」としているグループまでいろいろあり、その根源も結局は「罪悪感」にあるが、彼らはその矛先を、ODAによる大規模開発や多国籍企業に向け、現在の反グローバリズム運動や反ODA運動がつくられた趣があり、一部の活動が政治的組織や労働運動、マルクス主義と連動しているのは事実であること、などなど。(もっとも、こんな大きなテーマに即答することなど不可能なので、「後に文章にして渡す」ことを約束した。)

…というわけで、私はこれまで、一度も、そのプロジェクトに影響を受けるとされるコミュニティには行ったことがなかった。
ところが、ふとしたきっかけで、今回、そのコミュニティを訪問することになった。被害コミュニティにお住まいの住民組織のおじさんのバンカ(小舟)で、パシグ川をクルーズすることになったのである。
ラグナ湖からマニラ湾に注ぎ込むパシグ川は、7つの市と14のmunicipalityを通ってメトロマニラを東西に貫通する全長27m、幅50メートルの大河である。かつては漁ができるほどの清流だったが、沿岸地域の工業用水の垂れ流し、また、マニラ首都圏への農村人口流入による沿岸地区のスクワッター・エリアの拡大および人口増加にともなう生活廃水のために水質は著しく低下し、現在ではゴミや泡が浮かび、悪臭を放っている。現在、1)川の水質浄化、2)沿岸地帯の美化(工場や住居などの浄化)、3)美化の維持と長期モニタリング、の3つのプログラムから成る「Pasig River Rehabilitation Program(パシグ川再生計画、PRRP)」がアジア開発銀行からの79億ペソの資金融資を得て進められており、「10メートル地役権(10-Meters Easement)」をめぐって住民と対峙する。PRRPでは、パシグ川の両岸10メートル幅の土地は「環境保護地帯」として公園や歩道を設置すること、さらに、10メートルを越える周辺の土地を「都市再開発地域」として住宅やデイケアセンターなどの建設地にして、巨大な不法居住地と化している河岸地域をツーリスト・パークとして再生化し、外国人観光客を惹きつけることを目的としている。
これが、COMのオーガナイザーたちが支援している大きな問題のひとつであり、私がフィールドワークをおこなったP地区、D地区、そして現在のPA地区はいずれも、このPRRPの10メートル地役権問題に直面している。
先日までのLOCOAのワークショップに参加していたインドネシア人のAは、ジャカルタでのコミュニティ・オーガナイジングに携わっており、このPRRPのことをきいて、とても驚いていた。なぜなら、インドネシアでも類似のプロジェクトがあり、ジャカルタでは地役権は20メートルと制定されているとのことなのである。パシグ川の河岸浄化事業に伴う立ち退き問題にたいへん興味を持った彼に、オーガナイザーのSは、タギグ市の住民組織のリーダーである猟師のおじさんに頼んでエンジンつきのバンカ(小舟)でパシグ川をラグナ湖から下ることを提案した。そして、
「sagingもぜひ、PRRPの全体像を知るために一緒においで。そしてできれば、今度、COMがパシグ川の現状についてプレゼンテーションをするときに河岸の写真が必要なので、デジタルカメラを持ってきて、沿岸部を撮影してくれないか?」
と、私にも声をかけてくれた次第なのである。
というわけで、SとAと私の3人は正午にオルティガスで待ち合わせをし、そのおじさんがお住まいのタギグへ向かった。おじさんはパシグ川の支流であるタギグ川の川べりに住んでおられ、仕事は漁師。毎朝、バンカで10分かけてラグナ湖まで出て網を仕掛けテラピアやバングースなどの魚を獲っておられるという。Sは事前に私にまったく知らせてくれなかったのだが、おじさんのお家はまさに、JBICのプロジェクトによって立ち退きを迫られ、さらに、ラグナ湖で漁ができなくなる可能性が高いのだという。Aは、インドネシアでもJBICがいかに理不尽かということについておじさんに説明していた。

強い雨のため、そこを出発したのは4時近くだった。おじさんのバンカに3人で乗せてもらい、ラグナ湖に出る。湖の上でいくつかその問題プロジェクトの説明をしてもらい、魚獲りの網をどこで仕掛けているのか、とか、遠く東の沿岸に見えるのはリサール州のスクワッターエリアだとかいうお話をききながら、湖を北上して、パシグ川に入る。河岸にスクワッターの集中しているパシグ市、立ち退きがかなり進んでいるマカティ市のウエストレンボー地区、河岸道路や公園などがすでに建設されているMRTグアダルーペ駅周辺のマカティ市やマンダルヨン市を過ぎて、マニラ市へ。サンタ・アナの橋を超えて、パシグ川がツリガネ状に蛇行する(そして、川に囲まれたそのツリガネの中の14のバランガイが、P地区である)地点に着いたところですでにあたりは暗くなり、私たちは先に進むことを断念してUターンした。もう少し行けばマラカニアン宮殿の裏口あたりまで出られたのに、とても残念である。私たち3人はグアダルーペで降ろしてもらい、おじさんはそのままタギグまでお帰りになった。


マカティ市役所とスクワッター


マンダルヨン市のスクワッター


マンダルヨン市の河岸公園


S曰く「香港みたい」なグアダルーペ


パシグ市の洪水制御事業。日本の旗が見える。


その水門


        
 

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