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日和見バナナ |
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We are students of development.
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Hiyorimi Banana by "saging"
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フィリピンの文化 ♯13
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フィリピンのクリスマスに
2003.12.25(木)
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フィリピンで過ごす初めての(そして最後かもしれない)クリスマス。マニラの喧騒を逃れて、ラグナ州サンペドロにある知人のお宅で休暇をすごさせていただくことにしたが、なんのことはない、マニラほどではないにしても、連日ご近所から大音響でクリスマスソングやダンスミュージック、カラオケが早朝から深夜まで鳴り響いているのも、新年を待ちわびる人々が爆竹を鳴らす音が響き渡っているのも同じ。私は、家に籠もってひたすらレポートを書くだけのクリスマス休暇だった。それでも、知人のご家族と一緒にクリスマスの食卓を囲むことができたことと、家々に灯された美しいイルミネーションを見ることができたことはとてもよかった。
知人はメソジスト(プロテスタントの一派)なので、イブの夜にはメソジストの教会に行った。私は中学1年生のときに近所の教会学校に通い始めた。オルガンの奏楽までさせていただいていた。「飢餓を終わらせたい」と心から真剣に思っていた私は、キリスト教は「飢餓を終わらせる努力」にちかい気がしていたのだ。クリスマスには近所の子どもたちの前で劇やゲームを披露し、夜はみんなで教会員さんのお宅を周ってクリスマス・キャロルをした。けれども、わずか1年半で、私は教会に行くことを止めてしまった。
いまはなき、マニラのゴミ捨て場「スモーキー・マウンテン」を題材とした「忘れられた子供たち」という映画がある。私が初めてその映画の存在を知ったのは1997年、初めてフィリピンに渡航した高校2年のときであった。私はのちにこの映画を批判するほうに立つことになるが、その当時は、監督の書いた同名の本も買って、いそいそと大阪での上映会に行ったものだった。
しかし、この映画にはひとつ引っかかるシーンがあった。ゴミ拾いをして一家の生計を支えるスモーキー・マウンテンの子どもたちが、日曜の午後にマニラ市内の教会に行くというシーンがある。本の中では、このシーンに「聖なる日曜日」という言葉が使われている。彼らはこう祈っていたのだという。「お母さんが長生きできますように、私の命がすこしくらい短くなってもいいですから」「妹が学校に行けますように。私は行けなくて良いですから」。
実際に私はフィリピンで、どんな貧しいスラムの家にも、ジープニーの中にも聖母マリアの像が置かれているのを見たし、マニラで訪問したストリートチルドレンのセンターで子どもたちが作る手工芸品に「Jesus Love」「Lord」といった言葉が入っていたり、彼らから披露された歌が讃美歌ばかりだったことに驚いたことがあった(今思えばそこは教会系の施設だったのだから当然かもしれないけれど、その当時は驚いたのだ)。
けれど、いや、だからこそ、私はこのシーンに疑問を持たざるを得なかった。それは、「神様がもしいるのなら、なぜこの子どもたちを救ってやらないのですか」というような疑問とはまったく別のものであった。このシーンを美化して感動を呼ぶドラマに仕立てる日本の人々のほうに、疑問を持ったのである。
「彼らは貧しい、けれども、信仰を持って生きている彼らはもしかすると私たちよりも幸せかもしれない。」
途上国に渡航して、あるいは途上国の貧困を扱ったドキュメンタリーを観て、こんなことをいとも簡単に言う人々。平気な顔で「信仰や心の豊かさは物質的な貧苦を越える」などと言う人々。けれど、物質文明に浸りきった人間に、どうしてそんなことがいえるのだろう、と私は思っていた。日本でないと生きていけないくらい物質文明の恩恵を受けている人間が、ものすごく不便で貧しい途上国ににわかに行って、数日だけの滞在で「自然の良さ」や「せかせかしていないところ」に勝手に感動し、実際にずっとそこで生活することなどできはしないのに、「日本より豊かだ」「日本より幸せだ」などと誉めるのは、あまりにも勝手である。そんな言葉は、実際に自分が飢えて死にかけてから吐けばいいのだと思った。そのような勝手な思いこみで、フィリピンの貧困はなかば現状肯定的に正当化され、ごまかされている。キリスト教は、「心の豊かさ」や「物質的な貧苦を超える信仰の幸せ」といった言説を率先して牽引している。キリスト教は、こうして貧困という現状を肯定するのに使われてしまっている。
・・・そう感じ始めて以来、私は教会に行くことをまったく止めてしまった。
それでも、いまでも私はいくつものクリスマスソングをオルガンで弾くこともできるし、新約聖書は一通り読んだことがあるし、有名な聖句のことばも覚えている。教会に行かなくなって10年近くたったいま、まさか、このようなことが、フィリピンでこんなにプラスに働くとは思ってもみなかった。この時期に語られる聖書のなかの逸話や讃美歌のメロディーを知っているというのは、人とのコミュニケーションにおいて重要なことである。
クリスマス礼拝で語られた牧師さんの言葉の中に、こんな一節があった。
"Christmas is a day for giving, and forgiving."
同じ日に、友人からこんなテキスト・メッセージが送られてきた。
"A child was born in an animal cave shed by a peasant woman, with a carpenter for a father. He is born everyday in our slums and barrios, Merry Christmas."
2003年の最後に、不可能であるとはわかっていても、偽善的であるとはわかっていても、クリスマスに限らなくても、クリスマスを祝わない方々に対しても、以前私がまだ「活動家」だったときにキリスト教徒のエチオピア人の同志が贈ってくれた言葉をここに記します。
May Peace Prevail on Earth.
みなさま、よき年末をお過ごしください。
二度と帰ってこない今日という日が、皆様にとってすばらしい日でありますように。
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