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日常生活から ♯9
衛生事情
2003.5.25(日)
私が調査地としてお世話になっているP地区は水道事情が悪く、朝6時から夜11時までは、屋内では水が出ない。どこの家庭でも、洗濯には家の外についている蛇口から出る水を使う。ただし、この蛇口は数軒で共有のものである。料理や食器洗いなどキッチンで使う水については、夜中か早朝のあいだにバケツに溜めておいたものを手桶ですくって使う。どこの家庭にも、キッチンの流し台の下に、バケツが4つも5つも並んでいる。トイレ・バスルーム(上から出るシャワーなどない)の隅についている水道からも水は出ない。フィリピンならどこででも見かけるような巨大なドラム缶に溜めた水をすくってシャワーを浴びる。この巨大ドラム缶は人の腰くらいまであり、水の入った状態で持ち上げることは不可能である。水を溜めるときは、別のバケツに汲んできた水をこの中に入れる、という間接的な方法をとらなくてはならない。
家の人たちは、朝、水を汲み置きするために4時5時に起きる。6時には、もう水は出なくなってしまうのだ。日中、水が足りなくなった場合には、外から汲んできた水をバケツで家の中に運ぶ。とても重労働なので、私は、住民組織のリーダーの家に泊めていただいても、絶対にそこではシャワーを浴びず、私がP地区で拠点にしている家に戻ってから浴びることにしている。一般家庭に比べれば、この家には余計な家具などがいっさいないため、外の水道からバスルームに水を運ぶのもそんなに大変ではない。それにしても、バケツに水が溜まるのを待ち、それを持って移動し…、という作業は、時間的にも体力的にも消耗する。水汲みか掃除(床の掃き掃除、拭き掃除)をしているか、食器を洗ったり、洗濯をしたり・・・という単純な家事作業に、やたらと時間がかかってしまう。

衛生状態もよろしくない。どこから来るのか、毎日、キッチンの水を溜めているところにはゲンゴロウのような虫が発生する。雨が降れば、部屋のあちこちが雨漏りして、2階に逃げるしかない。そして、暇さえあれば掃除をしているのに、いったい1日に何匹出てくるのかとあきれるくらいのゴキブリが出てくる。夜寝る前に部屋の隅に殺虫剤(バイゴン)をかけておくと、朝、死骸があちこちに発見される。時には、足だけが発見されたりもするが、これは、死骸を蟻がさっさと食べてしまうからである。少しでも甘い食べ物は密封しておかないと、すぐに蟻がくる。その他にも変な虫がたくさんいて、いろいろなところを噛まれるので、私の足はもはや傷だらけになっている。

先週の火曜日は、夜間も水が出なかった。なんでもケソン市(私の下宿の至近距離)で、水道水を飲んで死んだ男の子がいるらしく、その地区に水を送っていたラ・メサ・ダムの水質チェックが行われるのだと住民の人たちは言う。でも、P地区よりずっと事件現場に近いケソン市にある私の下宿も大学も、断水にはならなかった。痛みは、P地区のような貧困地区にばかり集中するように思える。

この事件まで、多くの家庭では飲み水に水道水を使っていた。水道水でさえ大切、というべきであろう。私の下宿では水道水がときどき変な色をしているので、飲み水は「レフィル(空になった容器を持っていくと新しく入れてくれる店や水の自動販売機があり、ミネラルウォーターよりずっとずっと安い)」買っているけれど、P地区では住民の方々が大丈夫だと言うので、水道水を直接飲んでいる。いまのところ、胃腸に何の変調もきたさないので、きっと問題ないのだろう。
さすがに、ラ・メサ・ダム水質疑惑事件のあと数日間は、人々も用心深く、飲み水には湯冷ましを使っていた。けれど、いまではすっかりもとに戻り、私も平気で水道水を飲む日々。どうか、何も起こりませんように。

ところで、雨が降ると、私はマニラが大嫌いになってしまう。道が悪いのであちこちに大きな水溜まりができ、車は泥水をはねかえす。自分が気をつけて歩いていても、周りの人はかまわず水溜りの中を歩くので、水はねが飛んで結局足元は泥だらけになる。帰りを急ぐ人が多くなると、ジープニーは満員で通過してしまい、雨の中10分以上もジープを待って立ち尽くす羽目になる。乗れば乗ったで、交通渋滞。ジープニーには窓ガラスがなく、雨が降ると窓にビニールシートをおろすことになっている。けれど、隙間から雨は吹き込み、天井からはしばしば雨漏りし、密集の中で、濡れた傘のために足元はさらにずぶぬれとなる。それでも、身動きが取れないので、あきらめるしかない。もはや、濡れるために乗っているようなものである。

単なる泥はねや水濡れならばまだしも、マニラのさらなる問題点は、ここに「不潔」という要素が加わることにある。マニラの道は、もともと汚い。生ゴミ、紙ゴミ、食べかす、ファストフードのトレイなど、あらゆるゴミは道に捨てられ、人々は平気で唾を吐く。雨が降って道が洪水状態になるということは、それらが一気に溶け出すということなのだ。目には見えなくても、考えると恐ろしい。

特に不法滞在地区であり、トタンの小さな家が密集するP地区では、投棄されたゴミ以上に、道が不潔である。飼われているのか集まってくるだけなのか、道には犬や猫がなぜか多く、朝は、ほとんど5メートルおきくらいに糞がある。ひどい話だけれど、ときどき、子どもも道で排泄している。また、朝は、夜の間に活動していて人や車に踏まれたゴキブリ、ヤモリ、ネズミの死骸がこれまたあちこちにあって、そこに蟻と蝿がたかっている。歩くには細心の注意がいる。しばしば、蛇も出る。
ここに雨が降ると…もはや、想像したくもないことになる。この間は雨の後で、P地区の路上に突如大きな蛇が出た。蛇は泳ぐらしい。

それなのに、子どもたちは雨が降ると大喜びで裸で道に出て、雨を浴びる。大人たちも「ほら、水浴びしてきなさい」と薦めるくらいだ。子どもではなく壮青年の男性たちも、短パンひとつになって道路に出ている。スポンジで体を擦っている人もいる。もちろん、これはP地区でそうだというだけで、このような風景がマニラ全域で見られるわけではないが…。

ときどき、すべてを投げ出してどこかに帰ってしまいたいくらいみじめな思いをすることになる。


        
 

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