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フィリピン社会と政治 11
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映画「RILES−Life on the Tracks−」
2003.12.12(金)
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フィリピン大学のFilm Centerで、ドキュメンタリー映画「RILES−Life on the
Tracks−」が上映された。Ditsi Carolino監督によるタガログ語で英語字幕のこの映画は、タイトルどおり、RILESと呼ばれる「線路沿いのスクワッター」エリアの住民の生活を映したものである。イギリスでなにか賞を取ったこともあるらしい。
マニラ首都圏とその周辺を走る国鉄、PNR(Philippine National Railway)の線路際には、スクワッターの住居が延々と立ち並んでいる。それこそ目と鼻の先を電車が走っているところにトタン屋根の家々がずらりと軒を連ね、電車が通らないときは人々は線路の上で洗濯や炊事をする。線路を(勝手に)利用した運搬用のトロッコも使われている。
映画というものをほとんど観ない私だったが、これはぜひ観ておかなくてはと思い、第三世界研究センターのほかの研究員さんと一緒に会場に向かった。会場前のロビーには、RILESの生活を写した白黒の写真が展示されている。白黒だから余計にそう見えるのかもしれないけれど、どれもなんだか暗い写真ばかりで、「ええ、こんな暗い映画なのかなぁ」と、映画を観る前からなんだか気が重くなってしまった。
しかし、いざ映画が始まると…、なんと、それは見事にコメディタッチだった。冒頭では、汽笛を鳴らしながらゆっくりと走ってくる汽車にもまったく動じずに線路上に椅子とテーブルを出してギャンブルに興じている男性たちと、同じく線路上で遊んでいる子供、洗濯をしている女性たちの映像。汽車は警笛を鳴らしながらだんだんと近づいてくるが、彼らはおかまいなし。映像に見入っていた観客の間からは「ひえ−、まだどかないよ」、「おいおい、轢かれるよ」というざわめきが起こった。やがて、汽車がかなの至近距離まで来て初めて、人々は「おっ、しかたがないなあ。どいてやるかぁ」という感じで重い腰を上げ、線路の椅子と机をずりずりと引きずって傍に寄せる。間一髪で通りかかる汽車。観客席からはあちこちで笑いが起こった。
その後も70分間、おもしろい映像が満載だった。とりたててストーリーがあるわけではないが、カメラはバルート売りのおじさんとその家族の毎日を追う。大鍋にバルートを茹でて仕込み、夕方の6時ごろに家を出て数時間売り歩き、途中でパン屋の若い売り子さんにちょっかいを出してみたり友達とジンを飲んだりして、夜半に帰ってくる冗談好きのおじさん。
「うちはお金がないのよ! なのに、毎晩ジンを飲んで…。今度飲んで帰ってきたら…どうなるかわかってるでしょうね。悪い友達と付き合うから悪いのよ。買う人が来たとき以外は立ち止まらずに歩き続けなさい!」
とがみがみ叱る奥さん。「わかってるよー」と言いながら「やれやれ、いまは醜い妻だが、それでも俺は彼女を愛してるよ…」とぶつぶつ呟いて「ちょっと! いまなんて言った?」とまた叱られるおじさん。観客は爆笑する。非常に貧しい家庭であるにもかかわらず、この夫婦は始終こんな調子で冗談ばかり言っている。とりたてて大事件が起こるわけでも、悲劇が描かれるわけでもない。ただ、彼らの生活はどうしようもなく貧しい。暗くて狭い家の中で、
「これだけの収入じゃ十分な食品も買えない、子供が病気になったときのための貯蓄もできない」
…と奥さんはいつもぼやいている。子供は近所のスナック売りのおじさんに
「ねえ、一袋ちょうだい。明日試験なのに、持っていくお弁当がないの」
と言う。
彼らの生活を通して、次々と映し出されるスクワッターエリアの日常。埃をかぶったマリア像だとか、部屋の隅でうごめく巨大ドブネズミとか、水浴びのあと、タオルではなくトランクスで顔を拭いてそのトランクスを当たり前のようにそのまま履くおじさんだとか、「あるある!」と言いたくなるシーンがさりげなくちりばめられており、そのたびに、会場はくすくす笑いに包まれる。
トタンの扉に貼られたエストラダ前大統領夫人のステッカー、壁にかけられた時計(市会議員の顔写真入り)、市会議員の名前入りのカレンダー、"Erap para sa mahihirap.(貧者のためのエラップ−エラップはエストラダ前大統領の愛称。この言葉は彼のキャッチフレーズだった)"と言いながらカラオケで冗談交じりにエラップ支持の替え歌を歌うおじさん…など、政治的な側面も描かれている。バックミュージックは、近所から聞こえてくるカラオケの声ばかり。(本当にスクワッターエリアにはあちこちに1曲5ペソで作動するカラオケマシンがあって、朝といわず夜といわず、誰かのご機嫌な歌声が響き渡っているのだ。)
映像の後ろにある背景は救いようもないほど重く、そして絶望的だ。けれども、私たち観客は何度も声を立てて笑った。いい映画だった。押し付けのメッセージはなく、ただの風景がそのまんまに描かれているだけであった。
映画の後、若くて小柄な女性の監督が舞台に出て、「この映画のモデルとなったご家族が来てくださっています。そちら、どうぞ立ってください」と言った。中ほどの席で立ち上がったのは、あのバルート売りのおじさんと奥さんだった。恥ずかしいといってスピーチをなさらないおじさんに代わってマイクを握った奥さんは、監督に向かって「あんた、ありがとう。私、泣きましたよ」と言った。
それから、フロアから、監督に対するコメントや質問が寄せられた。「あのような狭い隙間に、どんなカメラを備えたのですか?」という問いには、「ほんの小型カメラを持ち込んだだけです。三脚も使いませんでしたよ。女性のスタッフにとってはとても楽な撮影でした」との返答。「なぜこの映画を撮ろうと思ったのですか?」という質問に彼女は、
「私は、ありのままの彼らの生活を映したかったのです。彼らの貧しさや悲劇を強調するようなドキュメンタリーを撮りたくはなかったのです。そのために、5ヶ月間、あそこに住んで生活をしました。そしてあの夫婦に出会い、彼らを撮ろうと思ったのです。はじめはカメラを意識していた彼女たちも、徐々に、ごく普通にしてくれるようになりました。どのシーンも、インタビューによる語りではなく、日常のおしゃべりの延長でした。」
と答えた。
私はそれをきいて、ますますもって強く心を動かされた。「貧困」をことさらに強調し、「そのなかで生きている人々の輝き」や「心の豊かさ」といったおあつらえむきのストーリーをつくりだして商品化している多くのドキュメンタリー(たとえばFense and Sittingのページ内の「開発ポルノ批判と自己反省−固定化された「途上国イメージ」−などをご参照ください)に辟易していた私にとって、これは衝撃的だった。
必ずしもフィリピン人の監督だから、というわけではないだろう。実際、フロアからは、「この地域は私たちの教会グループがサポートをしまして、映像の中のあの子は現在、奨学金を受けて勉強しているんです。この映画がそうした活動の助けとなったことを嬉しく思います。われわれは今後も都市貧困の現状を訴えていくべきで…」というような発言もあった。
この映画、フィリピン国内でもまだ一般に上映されているわけではなく、監督によると「一般上映を望んではいますが、いまのところ、予定はありません。まずは学校や病院などの公共機関でこのような上映会を繰り返していきたい」とのこと。日本に上陸することがあるのかどうかはわかりませんが、もしも機会があれば、ぜひご覧になることをおすすめします。 |
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