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フィリピン社会と政治 ♯2
Labors' Day(メーデー2003)
2003.5.1(木)
5月1日は、労働者の日である。(メーデーとは呼ばれない。フィリピンでは「緊急事態」という意味になってしまう。)
日本と違ってこの日は祝日。フィリピン全土で、さまざまな労働運動が繰り広げられる。組合だけではない。社会正義を唱えるNGOや住民組織も、これらの集会に参加する。

私は今回、KMU(KILUSANG MAYO UNO、May First Movementという意味で、左派系である)の集会を見に行った。名前に5月1日と冠しているくらいだから、この日はKMUの最大のイベントである。KMUと親しい都市貧民連合(住民組織)には、B氏という知人がいる。彼はもちろん、以前から私をこの集会に誘っていた。

NGOや住民組織が、こうした労働運動や、さらにその上の政治的組織に密接に関係しているのは、私がフィリピンで研究を進める上でもっとも注目していることの一つである。上層部の方針、セクトの分裂などは、フィリピンのNGO界にまで及んでいるからである。

1990年代初頭に、フィリピン共産党は、毛沢東路線を固辞するKMU、BAYAN系のRA(再確認主義者)と、より大衆的な問題に基盤を置くRJ(拒否主義者)とに分裂した。

先にあげたKMUは、RAを選んだ急進左派の組織であり、BAYAN(新民族主義者同盟)という組織のもとにある。BAYANは、労働者組織のKMU、小作農民組織KMP、公務員組織COURAGE、女性組織ガブ○エラ、青年組織ANAKBAYAN、、フィリピン学生連盟LFS、教員連盟ACT、人権組織カラパタンなど、「大衆」のなかの階層別の共闘組織や各種団体を包含している。もちろん、こうした団体はいわゆる「NGO」と呼ばれることもあり、実際に、社会正義的な活動をおこなうこともある。

RJを選んだのは、PMP(フィリピン労働者党)、サンラカス、暗殺されたポポイ・ラグマンが指導したことで知られるBMP(変革のための労働者たち)、新政党AKBAYANなどである。ただし、RJの中でも彼らはそれぞれ別の路線を歩んでいる。

よって、5月1日に労働運動を行うのは、KMUだけではない。各セクトは、場所と時間が絶対に重ならないようになっている。たとえば、RJのひとつである政治組織サンラカスとその傘下にある都市貧民連合などのNGOは、この日の朝からマラカニアンの付近に集合するという。
この日、私がKMUを選んで見に行ったのは、SA○LAKAS系の都市貧民連合につながりを持っているNGO「K財団」のソーシャルワーカーをしている友人Pが、「今年は、K財団の有志スタッフはSA○LAKASではなくKMUに行く。今年のKMUの主張は、米国の帝国主義批判を掲げたもので、それには強く賛同できる。SA○LAKASはイラク戦争を強く取り上げていないから、今回はKMUだ」と言っていたことに興味を覚えたからである。(K財団の政治的立場はどうなのか、SA○LAKAS系との関係は危うくならないのかという話もあるのだが、それはまたいつか別の機会に…。)

朝9時ごろ、各団体はいくつかに分かれ、それぞれの「持ち場」に集合する。KMUの場合は、QUIAPO(キアポ)、KALAW(カラウ)、ロートン郵便局前など(いずれも歩ける範囲)に集合し、街頭カーで「2003年5月1日声明」を読み上げたり、ビラを配ったりする。
私はPに「主要派は9時にKALAW集合らしい」ときいていたので、9時ちょうどにTAFT通りとKALAW通りの交差点広場に行ったが、いるのは街宣車と20名くらいの若者(ユニフォームを来ているわけでも旗を持っているわけでもなく、雑談している)のみ。ユニフォームを来た人々が到着し始めたのは10時前だった。私は、あたかも参加者のようなふりをしながら、集合している人々の属性や街頭カーの様子をしばし観察。ここでは、街宣スピーチ(声明を読み上げるだけ)とシュプレヒコールのみ。

11時頃、一行はロートン郵便局前に向かって歩き始める。同様にそのほかの場所からもKMUグループがロートンに向かってきており、正午すぎにはおおかたのグループが郵便局前ならびにその隣のボニファシオ公園に結集する形になった。

美しいロートン郵便局を背に、KMUの特設ステージ(車体の長いトラックの荷台を利用している)がもうけられている。マイクやバンドのセットが並び、指導者風の人が順々にスピーチをしている。各スピーチは15分くらいで、最後に必ず「International Solidality!」「K・M・U!」などを連呼する。参加者もそれに応じて連呼を繰り返す。内容は、

-KMU運動の歴史
-グローバリズムと自由貿易主義の批判(これが、今年のメインの主張である)
-ブッシュ大統領の「帝国主義」とそれに追随するアロヨ政権批判(これもメイン)
-フィリピンの労働事情の訴え
-都市貧困の様相の訴え

などなど。

それにしても真夏の午後のこと、炎天下の会場はあまりに暑い。ステージ周りには、熱心に立ったまま取り巻いている人々もいるが、多くの参加者たちは、ボニファシオ公園の芝生に腰を下ろし、雑談をしたり、昼寝に入ったり、お菓子を食べたりしている。ぱっと見たところ、混み合った行楽地かリゾートのようだ。各団体ごとに、花見の場所取りのように固まって座っている。MMDA(マニラ首都圏開発省)など、公務員の組合も参加している。あたりでは、アイスクリーム、ジュース、カキ氷(ハロハロ)などの屋台(固定ではなく、荷台を曳いて歩くもの)もたくさん出ている。

私は、2時までは一人で観察を続けていたが、2時過ぎにステージ近くで、都市貧民のための活動家Bとその友人で知己のLに会い、今回の集会の内容や昨年との違い、来ている団体の性格などについて彼らから話をきいた。そのあと、K財団からの一行にも会った。K財団からは、P、Pの彼女で同じくK財団で働くS、Pと同じ部署にいるソーシャルワーカーのM(女性)、そしてR牧師(女性)が来ていた。Bの団体がとても熱心にステージに見入っているのに対し、K財団の4人はまるでテレビでも観るかのように、アイスクリームなどを食べつつ、のんびりステージを眺めている。

午後3時過ぎ。それまでステージの横に置かれていたブッシュのハリボテを人形に火をつける、という、この日の目玉イベントが開始された。木陰で休んでいた人たちも続々とステージ前に集まってくる。帝国主義反対のスピーチのあと、ハリボテには火が投げられ、周りを取り囲む団体はいっせいに旗を振りかざす。ステージではとても戦闘的な歌(フィリピンには、「アクティビスト・ソング」というジャンルの歌が存在する)が演奏され、参加者は声を合わせて、ハリボテが燃える様を見守る。Pは「カメラ、カメラ」と言っている。

そのあともさらに、スピーチや、アクティビスタソングの演奏は1時間以上続いた。午後4時にはそこから大統領府に近いメンディオラまでラリーをするときいていたが、いっこうにステージは終わる気配を見せず、先頭集団がようやくロートンを出発したのは5時過ぎだった。

一行はロートンから、パシグ川を越え、LRTの高架下に沿ってキアポを通過し、レクト通りに出た。このラリーは実にまた日本とは趣を異にするものだった。K財団の4人をはじめ、参列者はどこにでもいそうな人々。年齢も、若者、壮年、おばちゃん、おじちゃん、とさまざま。集会を指揮するKMUの過激さに比べ、参加者たちは悲壮感もなく、いたって楽しそうな雰囲気である。
ラリーは、50メートルほど歩いては、50メートルほど走る。走るときはけっこうなスピードで、「Woooo!」などと叫びながら走るのだ。歩いているときにはときどき、シュプレヒコールをかける人がいて、参加者たちはその後を追ってキーワードを連呼する。"インペリアリスモ!(帝国主義)"、"GMA! Tuta!"(GMAはアロヨ大統領。Titaは仔犬。米国追随の姿勢を揶揄している)などなど。ただ、それらの言葉の強さと、走ったり叫んだりするときの人々の楽しそうな様子が対照的である。まるで、スポーツ観戦でもしているかのようだ。子連れでの参加もみかけたが、どこからみても「親子ウォークラリー」かと見まがう和やかさ。
レクト沿いに出ると、先頭が目的地にたどり着いたのか、急にスピードが落ちる。レクトは大学外なので、道沿いには露店や屋台がたくさん出ている。なんといっても暑く、おまけに走ったりなどするので、水やアイスクリームは飛ぶように売れ、参加者たちは歩きながら食べたり、道に腰を下ろして食べたりしている。こうなってくると、私の感覚では、どこからみたって、労働運動のラリーには見えない。ちなみに、この日、K財団の4人と私が買い求めたものは、ペットボトルの水、アイスクリーム、タホー(豆腐のあんみつかけ)、イカ焼き、ピーナツ、コカコーラ、オレンジジュース、クラッカー、キャンディー、小魚のチップ。(やはり、気分はウォークラリー)

結局、後方にいた私たちは、目的地メンディオラの先頭集団が何をしているのかもわからず、ステージはまったく見えず、はるか遠くから聞こえる最後のスピーチにときおり、耳を澄ますだけだった。集会は18時過ぎにお開きとなった。レクトは車両通行止めとなっていたため、参加者はそこからもと来た道をぞろぞろと戻ることになった。

過激派と呼ばれるKMUとともに、この体力勝負の集会に1日を費やすからには、参加者はそれなるに、めいめい、確固たる主張をもっているのであろう。K財団のPの例を挙げるまでもなく。しかし、一般参加者の参加のしかたは、私のもっていた「過激派の労働運動」のイメージを覆すものであった。日本ではこのような政治的運動はあまりに特別視され、一部の過激派のものとみなされているが、改めてフィリピンでのこのような集会の底辺の広さを感じさせられた一日であった。

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注)フィリピンには、次の2つの大きな労働組合がある。

・TUCP(Trade Union Congress of the Philippines)
75年創設。マルコス政権下で唯一の労働組合センターとして認められ、労働運動を牛耳ってきたが、近年その影響カは低下傾向にある。
・KMU(KILUSANG MAYO UNO)
80年に創立された。上が右派、こちらは左派、という二大潮流になっている。

他に、産業界で政府系に近いTUPAS(Trade Union of the Philippinesand Allied Services)という組合や、FFW(Federation of Free Workers)もある。
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最後に、当日の写真を載せておきます。デジカメで撮影した動画(ブッシュ大統領のハリボテを燃やしている過激な映像)もあるのですが、載せ方がわからないので、静止画のみ。

1)
正午すぎ、Lawton郵便局前にて。
旗を持ち、練り歩く各団体。
2)
特設ステージ(トラックの荷台)。
アロヨ批判の垂れ幕がなびく。
3)
ステージ横に作られた
ブッシュ大統領のハリボテ。

4)
午後3時半、ハリボテを燃やす。
「アクティビスタソング」が響く。

5)
無残に燃え落ちたハリボテ。
ステージの演奏もいっそう熱を帯び、
集会のクライマックスを迎えた。

6)
午後6時、レクト通りを埋め尽くすラリー。
道路は通行止めとなっている。


        
 

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