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日和見バナナ |
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Hiyorimi Banana by "saging"
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フィリピン社会と政治 ♯6
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Philippine Political Science Assembly(フィリピン政治学会)
2003.10.24(金)
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2003年のPhilippine Political Science Association (PPSA、フィリピン政治学会)は、23日(木)から25日(土)の3日間にわたって開催された。
1日目は、Keynote Lecture(基調講演)"History and Nation-building in the Shadow of Empire"で、帝国主義化との闘いの歴史を踏まえ、現在のフィリピン政治、特につい1週間前のブッシュ大統領のマニラ訪問をどうみるかという内容であった。ブッシュ大統領はスピーチで「フィリピンの過去3回の戦争」という言葉を使ったが、それにはアメリカとの戦争(アメリカの植民地支配への抵抗運動)が含まれていないこと、ブッシュ大統領は意図的にそのような表現をしたのであるということなど、ホットな話題であっただけにとてもおもしろかった。
そのあとは分科会で、私はLocal Conception of Powerというパネルに参加した。発表者は政治学者ではなく文化人類学者と哲学者で、地方政治における権力関係の分析に関する発表だったが、あまりにも地域限定的なミクロな話なので、おもしろくはあったけれどよくわからなかった。
昼食後は、今回もっとも楽しみにしていたElectoral Politics and Societyというパネル。中でも「フィリピン左派と選挙政治」に関する発表はとてもとてもためになった。左翼系の政治的組織が選挙政治への考え方をめぐってどのように分裂してきたのか、選挙政治への関与を否定していた左派までもが下院に議員を送ることができるようになった1998年以降のParty List Systemは何をもたらしたのか…など、いずれも、私が知りたくてたまらなかったテーマばかりであった。発表なさった先生はフィリピン人で、現在オーストラリアの大学で教鞭をとっておられるという。その内容から、明らかに先生ご自身も左派運動の一味で、現在もある組織に関わっておられるのだろうということがはっきりとわかった。
2日目は、日本研究をされている先生による、日本の憲法の制定過程と改正問題に関するプレゼンテーションが印象的だった。単に9条の話にとどまらず、たとえば、英語ではPeopleという語でしか表せないが日本語では「人民」と「国民」は違うのだとか、「国体」とは何か、など、広い問題が紹介されていた。フィリピンでは大統領制から議院内閣制に移行するという話があるが、日本のシステムは果たして議院内閣制なのか?という課題提起がおもしろかった。
それから、「社会運動」分科会の中でおこなわれた、フィリピン大学の先生による、「サムットプラカン汚水処理プロジェクトと反ADB(アジア開発銀行)運動」はおもしろかった。タイのこのプロジェクトは、ADBのインスペクション制度が初めて行使された例として有名である。インスペクション制度は、ODAが引き起こす(あるいは、起こすだろう)環境・社会被害を事前予防あるいは回避するために、はじめに世界銀行が設定したもので、「援助被害」の原因が、開発援助機関の政策・手続き違反にあるかどうかを、途上国の援助被害者たちによる直接的な申し立てにより、援助機関から独立した専門家が調査し公開する仕組みである。ADBにも導入され、さらに、日本の国際協力銀行(JBIC)での導入も期待されている。
3日目は、パラワン島の先生方のチームによる、石油と政治をめぐってのパネルを聴きに行った。石油といえば、スプラトリー諸島(いわゆる南沙諸島)問題である。1978年、当時のマルコス大統領がパガサ島(中業島)やリカス島(西月島)などを「カラヤアン諸島」と呼び、パラワン州の一部であることを大統領宣言で述べてからというもの、領有を主張する中国やベトナムと対立している。この問題が軍備増強の根拠とされることもあり、実際に、1998年にラモス大統領によって調印された「訪問米軍の地位に関する協定(VFT)」制定には、米国の力を借りて中国を牽制したいという意図があったといわれる。しかし、中国は「外部勢力の介入は認めない」としており、マレーシアのマハティールも「この問題の域外化には反対」(99年8月中国への公式訪問にて)として、米国の介入を批判している。
そもそも、私がこのPPSAに参加するにいたったのは、所属しているフィリピン大学の第三世界研究センターの所長の影響によるところが大きい。マルコス政権下に現フィリピン大学の学長のネメンソ氏(政治学)らによって設立されたこの研究センターは、マルキシズムの色が濃く、政治学関係者には有名な機関である。この9月に新しく就任された所長は、マンチェスター大学出身のイギリス人のガレス氏。就任早々に組織改革に積極的な彼は、それまで「野放し」状態でてんでばらばらに好き勝手な活動をしていた私たちリサーチフェローを呼び集めて「研究会」や「政治学の院生との交流会」などを次々と企画。
「君もそもそも政治学を専攻しているなら、コミュニティ・オーガナイジングばかりじゃだめだ。せっかくこのセンターに所属しているのだから、大いに機会を活用しなさい」
とのガレス氏の勧めにしたがって、私も「レギュラシオン理論」だの「グローバル資本主義とマルキシズムの再興」だのという研究会や講演会に出席し、マルキシズムの院生たちと知り合った。そして、やはりこの国立フィリピン大学という大学は、現在も学生運動家を輩出しつづけているのだとあらためて認識させられた。
そのなかで、ある政治学の院生と知り合った。彼女はものすごく優秀な人で、5月に大学を卒業したばかりの21歳で、すでにマカティ市にあるカレッジで政治学を教えている。フィリピンの教育課程は、小学校6年、ハイスクール4年、大学4年だが、彼女は大学を3年半で卒業している。私も学部を3年修了して大学院に入った(ただし、私の場合は大卒資格はなく、中退になっている)という点で共通しており、仲良くしてもらっている。彼女はいつも政治学の文献を山のように紹介してくれる。
「PPSAにも、ぜひ行って視野を広げるべきだ。出席の先生方に会えるだけでも価値がある」
というガレス氏と彼女の勧めで、彼女と一緒に参加することになった。ガレス所長は食事の時間や休憩時間に「この日本人は、僕のセンターのリサーチフェローで、政治学を専攻している」とさまざまな先生方に私のことを紹介してくださり、そのおかげで、ご出席の先生方にはとても親切に文献を紹介していただいたり、アドバイスをいただいたりすることができた。フィールド集中することも大切だけれど、所長のアドバイスはきちんと聴くべきものだなあと実感した次第であった。 |
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