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衛星通信/放送サービスの行方
2002年09月18日(水)


▼Mainichi INTERACTIVE『イーピー、会員料金値下げ 10月1日から380円』
http://www.mainichi.co.jp/digital/network/archive/200209/13/5.html

先日こんなニュースが出た。この問題は値下げ原資に,どの程度の根拠があるのかという1点に尽きる。つまり現行の政策での衛星通信/放送サービスが既にPayしないのではないかということである。

衛星でしか提供できない特性があり,その特徴を生かすサービスが展開されることを期待しているが,しかし維持費・開発費をPayするだけの魅力的なサービスがあるのかといえば,疑問が残ってしまう。このサービスは少々高い。当然イーピーだけを特定しているわけではなく,デジタルBS放送・110度CSの放送も同じである。

ネットバブルがハジけたのち,インターネットをはじめとした情報産業の一部は徹底的に叩かれ目下再建中たが,国が基本路線を決定するパブリックなサービスとしての『放送』というポジションではハジけるわけがなく(または逆にハジけるわけには行かずに),官業一体の放送業界では意識が未だにバブリーなのではないのか。

※バブリー:価値の無いことを有意義と認識しているという,実は後ろ向きな状態。役に立たないものに投資をして不良債権を量産する結果を招く。逆の『価値のあることを無価値と思い込んでいる状態』よりもタチが悪く,往々にしてバブリーな意見を述べる向きが表面上は非常に前向きに映るから厄介である・・・。


まずユーザにとって110度デジタル衛星放送対応チューナーなどの導入費用が高い。本放送が開始されてそろそろ2年が経過するが,未だにバーゲン価格でも¥6万とは,一部のユーザにはPayできても,本来目指す『普及』には無理があるのは皆さんも実感が持てるのではないだろうか。

結果的にこのようなバブリーなシステムがビジネスに乗ってきてしまった原因がどこから来ているのかを少々探ってみることにする。考えられる理由は2つ程ある。

・いくつかの方式が混在する高価で冗長なシステム
1つは,高度にデジタル化された放送システムが仇となってチューナーを高価にしてしまっている点だ。このことは衛星を維持する業者側にも同じ事が言えるが,結局は今回の放送方式は技術的に非常に高価なものだったという結論に至ることが出来るのではないか。

運用面をサポートするために導入された技術の数々のことである。本来『技術』とは,時間が経過するにつれ,事例などの経験則の積み重ねで,クリエーションあるいはイマジネーションの力量が必要な時期から,単なるノウハウの部分に至るプロセスがあるが,ここで問題になっている技術群とは,最初からノウハウに相当するような低レベルの約束事だけで,ビジネスとしてPayできるかどうかを強く意識せずに,例えばBS/CSの互いの政治的な立場のみでシステムが構築された可能性が高い。

当時はこちらなどにあるように,前提となる収入が見込め圧倒的に普及するため,少々豪勢な/冗長なシステムでも十分に勘定が合ったのかもしれないが,いろいろな『しがらみ』をそのまま放置し,さらには政治的な決着を繰り返し,ビジネス的立場や本来の技術的立場が有効に働かなかった。

本来の技術とは,立場や都合をすり合わせるために使うのではない。時代が経つと,このように使われた技術が浮いてきて,ハッキリ高価すぎると誰もがわかる形で認識できるようになってしまうというものだ。

システムが十分に冗長なのは,未知の技術を駆使しているサービスを構築する場合,安全性の面であれば仕方の無いところだが,それとは関係なく冗長である理由はどこにもあるはずが無く,結局ビジネスが成立しないのは考えてみれば当然のことだ。つまりもっと技術群をシンプルに構成すべきだったと言いたいのだ。

普及の妨げになっているのが,端末の高価なことだとすれば,携帯電話のようにインセンティブ販売を本格化すればよいという意見が必ず出てくるだろう。確かにこの手法を使えば端末の値段は無料に近づくかもしれないが,必ず暴走する販売店が現れるし,何よりコンテンツ提供側の有利子負債を量産することになり,業界の健全な育成が阻害されてしまう。134度CS放送の比較的安価なチューナーシステムのインセンティブ販売の時でさえ業界に大きな歪を生んだが,3倍高いチューナーシステムでは破綻することが目に見えている。

もちろん技術革新が進み,価格が今以上にこなれて来れば,破綻せずに済むかもしれないが,それならもともとシンプルなシステムとして,今のアナログNTSCテレビのような感覚の値段にした方が良いに決まっている。


・垂れ流しコンテンツを有償で配る総合放送の問題
もう一つの点は,実はもっと根本のコンテンツ産業としては致命的な時代の流れがある。

『情報を売る』という言葉が少し前に流行ったが,結局,ソフトウェアビジネス・音楽産業・映像産業にしても,メディアに乗せたコンテンツに著作権や配布権を強行に主張したところで,一般の視聴者がどれだけコンテンツにお金を支払うことの意味や価値を理解しているかは未だに不透明な部分が残っていると言わざるを得ない。

確かに有用な情報には当然価値があり,それを提供する側と享受する側でそれ相当の対価のやり取りが行われるのはごく自然の道理だが,それは単に面白ろ可笑しいコンテンツだからというだけではなく『サービス』としての中身が備わっている場合に限られる。ユーザが情報を能動的に取りに行ったときに,対応する情報が用意されている場合という意味である。しかし悲劇なのは現在のコンテンツが,場合によっては(というよりは現在のマスメディアの在り方全般に言えるが)提供する側に大きな価値があることである。

これは『無料放送→広告収入依存→視聴率偏重』という構造的な問題に帰結する。蛇足だが,似たようなものに『政治献金制度』がある。献金制度にも当初の理想があるが,運用を考えるとおよそそれとは思えない現実的なドロドロした部分があるのと同様で,これが番組コンテンツになると資金を提供するスポンサーの悪い意味での思惑が見え隠れしてしまっているのだ。

今一度,現在の放送・通信サービスで流通しているコンテンツをよく評価してみて欲しい。実はユーザの立場として,どれ程価値があるものなのか疑問に残るものの多いことに気づかないだろうか。業界の都合だけで垂れ流しているものが多すぎやしないか。無論,そのようなコンテンツを望んでいるユーザにとっては,この方が好都合である。むしろ大部分のユーザが現状で慣れ,満足してしまっているのかもしれない。

だから別に業界側の都合でコンテンツを製作するのが万事悪いと言うつもりはない。しかし,コンテンツそのものは,現在業界が主張しているような価値に比べると,殆どの場合がユーザのためではなく,言ってみれば形式的な(あるいは形骸的な)情報を提供しているに過ぎないため,ユーザにとってPayしない構造になっていることを気づいていないのが危険だといっているのだ。これが放送コンテンツにおけるバブリーと呼ぶ根拠である。

日本を含む西側諸国の『報道』や『ドキュメンタリー』などの根本的な放送サービスは未だに健在と思われるが,しかし,マスメディアとしてのもう一つの顔である『娯楽』的な要素では,ビジネスがやがて破綻するだろう。例えば某興業社の台頭を見るにつけ,コンテンツが枯れ,硬直化していることを実感できるのではないか。格好良いとか憧れるといった前向きな印象ではなく,ある意味娯楽ビジネスを極めた形骸的なスタイルが提供され続けているに過ぎないのではないか。

いや,彼らは見ていて間違いなく楽しい。もともと人類の進歩などという尺度で彼らを計ることそのものが間違っている。疲れたビジネスパーソン達などが家に帰って来て,脳味噌を使わずして楽しめる娯楽という意味においては打って付けである。笑うことは体に良いと言われているから,これは『癒し』の一つなのかもしれない。それにしても,あまり代わり映えのしないパターンで,次から次へと垂れ流されることによる弊害を,十分に認識すべきともWebmasterには思えるのである。

ユーザは半世紀以上に渡って,この業界構造に組み込まれるように洗脳させられているというと言い過ぎだろうが,実は『大した価値も無いコンテンツを神話含みで幅を利かせている業界』という印象をWebmasterはもっているが,皆さんはどうだろうか。→Webmasterは,これが総合放送に特有の問題点なのではないかと考えている。


これでは新たな放送経路を確保してもPayできないのは当然だ。コンテンツビジネスの危うさは実は以前にも当コーナーではこちらこちらで少々触れている。これを踏まえて,改めて多チャンネル化の時代で総合放送と専門放送とを比較してその特性を考えてみれば,今回のイーピーやBSデジタル放送を初めとした総『総合放送』化の危険性がさらに浮き彫りになるだろう。ここで以下に問題点をざっとおさらいしてみよう。

・総合放送偏重の放送行政
あまり良い言葉ではなかったが『1億総白雉(はくち)化』などセンセーショナルに言われた当時の世相では,このような議論がなされたことだろう。今にしてみれば当時の議論は多少不毛なところがあったわけだが,デジタル化/多チャンネル化される現代に至って,問題が放置されているばかりか,症状がごく少しずつながら悪化しているのではないか。

個人が有意義な人生を送ることを考えたとき,その際にメディアが占める要素を勘案すると,垂れ流し総合放送主体の放送行政は既に曲がり角を過ぎて,業界が言うところの『専門放送』的なコンテンツが多く流通できるような仕組みが実現できないだろうか。総合放送偏重と言われても仕方が無い現状からいち早く脱却して,早く軸足が変わらないかとWebmasterは密かに期待しているのだが・・・。


・次世代放送 ≠ インタラクティブ
念のために言っておくが,だからと言ってインタラクティブ放送にしろということでは決して無い『放送』という概念でインタラクティブを語ることはそもそも似つかわしくないのだ。個人が巨大な機構の側に働きかける行動は,どことなく空しいだけだ。相当工夫しなければインタラクティブ放送は成功しないだろうし,あるいは現実的な応用範囲は狭いだろう。しかも上りの情報経路に一般電話網を使っている現在のIT放送などのインタラクティブ番組は,結局実験の域を出ることが出来ず,もっと他の技術的なブレークスルーを経験するまでは普及しないと思われる。

そもそもインタラクティブで無くとも,個人がある情報を欲したときに,それに応えるサービスが提供されれば良いわけで,そのための多チャンネル化だったのではないか。さらにそのためのデジタル化ではなかったのか。


・デジタル地上波への飛び火 = 在京キー局の抵抗
また困ったことに,BSデジタル放送・110度CS放送の失敗が『TVのデジタル化はなかなか難しい』などと評され,地上波デジタルに飛び火することは目に見えている。地上波デジタルもシステムが非常に高価だが,ただでさえ国の計画は財政的・期日的に破綻していると囁かれているなか,コンテンツの議論までになるのは必至で,政界・業界が大きく揺れ動くだろう。


さて,今回のイーピーに関して言えば,一般視聴者の認知度が異常に低いことがそもそもの問題と思われ,Webmasterは今回の動きに対して実は値下げする前にすべきことが他にあるのではないかと勝手に心配をしているわけだが・・・。

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このように放送業界やインターネットを震源とする通信業界が大きな変革を迫られていることが解ってきたら,大型TVや壁掛けタイプのTVなど高価な機材を家庭に据えるのは,贅沢品としての認識で購入するなど,よっぽど好きでない限り避けたほうが良いのかもしれない。つまり地上波デジタルが再来年あたりに登場し,さまざまな対応TV端末が出てくるだろうが,場合によってはそのTVそのものの存在価値が大きく変わり,高価な機材の価値が急速に損なってしまう可能性すらあるからである。大枚叩いて買ってしまった物品は減価償却できず,Payしないことにその時に気づいても遅い。

さて,ここまで考えてみたわけだが,幸か不幸かビジネスとして成り立たなくなってしまえば,その根本的な対処が否応無くなされることになるのではと期待するのはWebmasterだけだろうか。変革が起こるのか,それとも懲りずに対処療法的な政治的解決が繰り返されるのか,行方を見守ることにしよう。

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