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2004年大統領選挙 ♯8
選挙当日 その2  ポール・ウォッチャー
2004.5.10(月)
これは その1 の続きです。

そのあと、ケソン市のDistrict1へ、A○BAYANのポールウォッチャーの活動を見せていただきに行く。ここも、都市貧困層を含有する地域ではあるが、ここは先の2つのマニラ市のコミュニティよりも模擬投票用紙の配布も少なく、さほど混乱してはいなかった。

3時になると、A○BAYANの運動員の一人について、West Triangleと呼ばれる地区のバランガイDの投票所へ向かった。彼女はここで、開票作業を監視するのだ。
投票が終わる3時前から少しずつ降り出した雨は、ついに本格化し、不吉などしゃ降りになっていた。雷まで鳴りはじめる。先週までは雨など一滴も降らなかったのに。やはり、この国は神様の国なのだと思う。神様がこの選挙を祝福しているか、あるいは警告を発しているに違いない…。

投票箱は、一箇所に集められるのではなく、投票が行われたその教室でそのまま開けられ、カウントされる。ここのD投票所では、投票に使われた教室は32。このすべてで、いっせいにカウントが始まる。黒板に大きな紙が貼られ、一人が投票用紙に書かれた名前をひとつずつ読み上げる。日本のように一枚の紙に一つのことが書いてあるのなら良いのだが、一枚の紙に、大統領、副大統領、上院、下院、市長、副市長、市議会議員…といった名前がずらずらと連ねられているので、それを順に読み上げていくしかないのである。それをきいて、二人のスタッフが、黒板の紙に、日本でいう「正の字」のような線を書いてマスを埋めていく。これらは、投票時にも人員として配置されていたこの学校の教員。
同時に、脇の机にも黒板と同じ紙が置かれており、ここにも、同様にカウントが書き込まれていく。最後に、黒板のカウントと照合させられるようになっている。こちらはカーボン紙の6枚つづりとなっていて、それぞれ、あとで切り離されて、選挙管理委員会本部、市役所、ナムフレル(クイックカウントを行う民間の団体)などに分けて届けられる。この書き込みを行っているのは、教員とナムフレルが事前に公募して派遣しているボランティア。

そして、この一連の「読み上げ」「書き込み」の作業がきちんとおこなわれているかどうかを確認すること、そして、開票が終わったらすぐその場で部屋ごとの結果を書きとめ、後に市役所や選挙管理委員会での集計のレベルで改ざんやミスがないように記録すること、これが、ポールウォッチャーのここでの仕事である。読み上げている人の背後からミスがないかどうか覗きこみ、黒板をじっと見つめる。これでは誤魔化しようがないだろうと思う。
教室に入れるのはIDを持ったウォッチャーだけとされているのだが、それ以外の一般の人たちも、お弁当を届けるだとか、電話だとか、なんだかんだと理由をつけて出入りしている。それに、たくさんの野次馬(私を含む)が教室の窓から結果を知りたくて覗き込んでいる。よくいえば、きわめて開かれた、非常にトランスペアレントな開票である。

そのあと、5時ごろに、一緒にいらっしゃった日本人研究者のWさんのお誘いで、彼の調査地であるケソン市の物売りの多いP地区の開票現場を見に行く。ここは、輪をかけてトランスペアレントであった。この投票所は小さすぎてすべてが屋内に入りきらず、屋外にテントを立てて投票を行ったようで、開票もやはり雨降る夜空の下で行われていた。誰が関係者で誰がウォッチャーなのかもわからず、誰でも、どこからでも見たい放題である。
ここでは、フェルナンド・ポー候補がトップを独走。二位はアロヨ氏ではなくてもと警察出身のラクソン氏。アロヨ氏は、ポーに2倍以上の差をつけられていた。

読み上げる声にしたがって
黒板に記入する人、紙に記入する人。
(ケソン市D地区にて)
紙にはマスがたくさん並んでいる。
5人分で1マスが埋まる。
(ケソン市D地区にて)
読み上げはつづく。
(ケソン市D地区にて)
カウント終了と同時に、
待ち構えていたウォッチャーたちが
結果を書き写そうと黒板にどっと駆け寄る。
(ケソン市D地区にて)
ここはケソン市P地区。
投票所も開票所も小学校ではなく
なんとバランガイホール。
狭いところで読み上げはつづく。
これもケソン市P地区。
バランガイホールからはみ出し、
雨の中、屋外にテントを張って
蛍光灯の光の下で開票。
壁に貼られた集計票。
(ケソン市P地区)
あっ!フェルナンド・ポーが断然リード!
2位はラクソン。アロヨ氏はなんと3位。
(ケソン市P地区途中集計)


Wさんと別れ、18時半ごろ、再びDに戻る。このD投票所を担当しているA○BAYANのウォッチャーはたった一人。一人で32の教室を回らなくてはならないのである。アロヨ大統領の所属する与党ラカスからの派遣ウォッチャーは一部屋に5人、ポー候補を押している野党連合KNPも一部屋に一人は置いているのに、市議会議員レベルやParty-Listレベルでは、十分な数のウォッチャーを派遣するだけの組織力も資金もないため、こうしたことになってしまうのである。
私の友人であり、私たちの「組織ボス」であるA○BAYANのケソン市District1担当のオーガナイザーJは、それぞれの投票所を回って、ウォッチャーに食事や水を届けてくれる予定になっていた。しかし、もう20時だと言うのに、彼は夕食を届けに来ない。実は昼食すら届けておらず、見かねた私とWさんが買ってきて提供したくらいである。与党ラカスのウォッチャーなどには1時間おきにお弁当やお菓子、ジュースなどの差し入れが入り、適当に交代もできるのに、一人で32部屋を見ているA○BAYANのウォッチャーは休憩すらできない。私はJに携帯電話のテキスト・メッセージで
「いつ来るの? まだ来られないなら私が代わりに食料を買ってとどけておきます。あと、交代要員を手配してもらえませんか?」
と連絡すると、
「必ず行くけどまだ遅れるから、お前から食事と水を買って届けて、そして彼女を手伝っておいてくれ。A○BAYANのユニフォームを着てやるように」
という返信が。

というわけで、私はボスのお墨付きを得て、急遽、A○BAYANのウォッチャーになった。このくらいの時間になってくると、もう、誰もウォッチャーのIDなどチェックしておらず、開票の部屋には一般人も入り放題。まして、私はA○BAYANのTシャツを着ているため、誰もが私をウォッチャーと思い込んでいる。もちろん、私が外国人であるということに気づく人などいない。私は次々に教室をまわって開票結果を所定の用紙に記録し、この地区ではA○BAYANがずいぶん健闘していることに満足し、一方で、やはり大統領候補ではフェルナンド・ポーがアロヨ氏を大幅にリードしていることに危機感を覚えながら、夜は更けていった。23時ごろになると、NGOの友人たちや住民組織のリーダーの方々から続々と携帯電話にテキストメッセージが入る。何度も書いてきたように、この時期、NGOも住民組織が選挙運動と一体化してしまっており、NGO彼らは皆、それぞれの土地で、それぞれの候補者のウォッチャーや選挙監視の仕事やボランティアの任にあたっているのだ。

「ブラカン州ではアロヨがリード。そちらは?」
「ケソン市のA○BAYANの様子はいかがですか?」
「ナボタスで市議会議員に立候補していた住民組織のリーダー、敗退はほぼ確実。」
「P地区を支援していたマニラ市議会議員のオカンポ氏、再選の可能性高し。おめでとう!」
「リサール州ではSANLAKAS強し。キャンペーンの成果があった。」

などなど。

午前1時をまわり、ほぼ開票は終了し、多くの教室ではすでに投票箱と開票結果用紙が厳重に包まれて選挙管理委員会の車に運ばれていったが、すべての教室で結果が出るまでウォッチャーは帰れない。ウォッチャーは疲れのせいか、もともとから仲の悪いほかの左派系のParty-List団体の運動員と、フィリピン共産党の役割をめぐる古典的かつ不毛な議論をした挙句に怒鳴りあいの喧嘩を始める始末。ボスのJはまだ来ない。投げ捨てられた大量の候補者のビラや模擬投票用紙に、スタッフやウォッチャーたちの食べたお弁当やジュースなどのゴミが教室にも廊下にも散乱し、降り続いた雨に濡れて、もはや足元はぐちゃぐちゃで、まるで悪夢のような光景である。
哀れなA○BAYANウォッチャーのためにお弁当やジュースやタバコの差し入れをしつくした私の財布はとうに底を突いており、この地区ではA○BAYANと連携してキャンペーンをしているケソン市議会議員候補のベス・ヘレナ(愛称BH)の支援組織から飲み物を恵んでもらう羽目になった(前日の日記の写真を参照)。

午後2時過ぎ、ようやく、最後の教室で開票が終了し、私たちは、ほうほうの体で投票所を後にして、彼女はジープで5分の自宅へ戻り、私は3本のジープニーを乗り継いでマニラ市の下宿に戻った。こんな真夜中にジープに乗るのは恐ろしく、タクシーを使いたかったのだが、この日A○BAYANに寄進しすぎた私の財布にはもはや20ペソしか残っていなかった。それでも、ジープニーには明らかに投票所からの仕事帰りとわかる人々がたくさん乗っていて、そんなに恐ろしくはなかった。最後に乗ったジープでは、すでに、与党ラカスのウォッチャー、Party-ListのABANSE Pinayのウォッチャー、そしてマニラ市長のウォッチャーがそれぞれのユニフォームを着て乗り合わせており、各自の投票所での苦労話に花を咲かせていたところで、私が乗っていくと、「おっ、今度はA○BAYANが来たぞ、いやー、そちらも時間がかかったんですか?」などと言われ、ちょっとした「仲間意識」のようなものが生まれていておかしかった。降りる人は順番に「ではみなさん、気をつけて。Happy Election!おはよう!」といって降りていった。

ボスのJからは結局、私が下宿に帰り着いた午前3時すぎに「いまDに到着した」という電話があった…。この時間までずっと、ほかの投票所をまわり続けていたらしい。その前の一週間もほとんど寝ていないはずなのに、なぜそんな強靭な肉体を維持し続けることができるのだろう。ウォッチャーの仕事も大変だが、このボスの仕事ぶりはまったく、鬼のようである。
後日、彼は「この借りは返す」といっていたが、それはこちらの台詞で、こうして少しのお金と少しの労働を提供していくことで、さんざんJに無理を言って、私が修士論文で書かせてもらうことを前提として、A○BAYANの政治活動に同行させてもらったり、インタビューに協力してもらったりと、通常は考えられないような情報を提供してもらった。彼らの真剣な活動を、私の研究の材料にさせていただいてきたことに対する「借り」を、私のほうが、これから少しでも返してゆくことができれば、と思っている。


        
 

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